・・・直覚の形式を離れて推論式的に実在を考えることが、超越的弁証法の虚偽に陥ることである。それは主語的論理そのものの自己矛盾である。そこで実在そのものの意義が変ぜられねばならない。いわゆる認識主観の綜合統一によって構成せられたものが客観的実在であ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・誠というものは言語に表わし得べきものでない、言語に表し得べきものは凡て浅薄である、虚偽である、至誠は相見て相言う能わざる所に存するのである。我らの相対して相言う能わざりし所に、言語はおろか、涙にも現わすことのできない深き同情の流が心の底から・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・しかもただ一歩で、すぐ捉へることができるやうに、虚偽の影法師で欺きながら、結局あの恐ろしい狂気が棲む超人の森の中へ、読者を魔術しながら導いて行く。 ニイチェを理解することは、何よりも先づ、彼の文学を「感情する」ことである。すべての詩の理・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・正に是れ好色男子得意の処にして、甚しきは妻妾一家に同居し、仮令い表面の虚偽にても其妻が妾を親しみ愛して、妻も子を産み、妾も子を産み、双方の中、至極睦じなど言う奇談あり。禽獣界の奇いよ/\奇なりと言う可し。本年春の頃或る米国の貴婦人が我国に来・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるようにした。その後僕は君と交っている間、君の毒気に中てられて死んでいた心を振い起して高い望を抱いたのだが、そのお蔭・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・といったことは、佐多稲子の小説「虚偽」の中に痛切な連関をもってわたしたちを再び考えさせる。日本ロマン派の亀井勝一郎、保田与重郎などが、あの時代「抽象的な情熱」として万葉王朝時代の文化の讚美をおこなった。そのことは、こんにちの亀井勝一郎のジャ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・作者は忠直卿とともに、人間関係の真率、偽りなさ、まことの現実を求める人間の情熱を辿ってはいるが、虚偽を生む社会関係を主体的に忠直卿から判断させてはいない。被動的に隠居仰せつけられその外力によって、社会関係の一部が変えられる迄は、さながら、自・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・自分が信ぜない事を、信じているらしく行って、虚偽だと思って疚しがりもせず、それを子供に教えて、子供の心理状態がどうなろうと云うことさえ考えてもみないのではあるまいか。倅は信仰はなくても、宗教の必要を認めると云うことを言っている。その必要を認・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・製作者自身は真実を書いているつもりでも、興奮に足をさらわれて手綱の取り方をゆるがせにすれば、書かれた物の内からは必ず虚偽が響き出る。大業にすることはすなわち致命傷であった。 私はこの点に自己を警戒すべき重大事を認めた。いかに苦しんでも苦・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・狡猾と虚偽とを享楽するらしい一人の虚無主義者は、自らを彼の奴隷のごとくに感じている。彼を殺そうとした者は死の前に平然たる彼の態度によって、心の底から覆えされた心持ちになる。これらすべては何によって起こるか。人格の上に働きかける力と、その力を・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫