・・・ 二十歳代の青年期に蜃気楼のような希望の幻影を追いながら脇目もふらずに芸能の修得に勉めて来た人々の群が、三十前後に実世界の闘技場の埒内へ追い込まれ、そこで銘々のとるべきコースや位置が割り当てられる。競技の進行するに従って自然に優勝者と劣・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・それに斜光の工合で、蜃気楼のようにもう一つ二子山の巓が映っている。広い、人気のない渚の砂は、浪が打ち寄せては退くごとに滑らかに濡れて夕焼に染った。「もう大島見えないわね」「――雪模様だな、少し」 風がやはり吹いた。海が次第に重い・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ 臥て居た間自分の心に最も屡々現れた民族的蜃気楼は林籟に合わせ轟く日本の海辺の波と潮の香、日向の砂のぽかぽかしたぬくもりとこの素麺とであった。 勿論我々のトランクの中に そのデリケートにして白い東方の食料品は入れられてない。自分は青・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫