・・・う進むに、足の疲れはいよいよ甚しく、時には犬に取り巻かれ人に誰何せられて、辛くも払暁郡山に達しけるが、二本松郡山の間にては幾度か憩いけるに、初めは路の傍の草あるところに腰を休めなどせしも、次には路央に蝙蝠傘を投じてその上に腰を休むるようにな・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・はでな縞物に、海老茶の袴をはいて、右手に女持ちの細い蝙蝠傘、左の手に、紫の風呂敷包みを抱えているが、今日はリボンがいつものと違って白いと男はすぐ思った。 この娘は自分を忘れはすまい、むろん知ってる! と続いて思った。そして娘の方を見たが・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・車の屋根に乗っている連中は、蝙蝠傘や帽やハンケチを振っておれを呼ぶ。反対の方角から来た電車も留まって、その中でも大騒ぎが始まる。ひどく肥満した土地の先生らしいのが、逆上して真赤になって、おれに追い附いた。手には例の包みを提げている。おれは丁・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・自分はまだ一度も行った事がないが病後の事であるからと思うて座敷で書見をしている父上に行ってもよう御座いましょかと聞くと行くはよいが傘をさして行けとの事であったから、帽をかぶってわるい方の蝙蝠傘を持って裏門へまで行くと、要太郎はもう網をこしら・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
・・・出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物の整理をしているのを見付けて、預けた蝙蝠傘を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を捜しあてた。同君の二人の子供も一緒に居た。その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・山路で、大原女のように頭の上へ枯れ枝と蝙蝠傘を一度に束ねたのを載っけて、靴下をあみながら歩いて来る女に会いました。角の長い牛に材木車を引かせて来るのもあれば、驢馬に炭俵を積んで来るのもありました。みかんの木もあれば竹もあります。目と髪の黒い・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・自分の持っている蝙蝠傘をほめて、売ってくれと言う。売るのがいやなら宝石と換えぬかという。T氏の傘を見て This no good. というと、また一人が This good, but that the best. と訂正した。 いわゆる・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・これが降ると道路はもちろん樹木の枝でも電線でも透明な氷で蔽われるために、道路の往来は困難になり電線の被害も多い。蝙蝠傘の上などに落ちて凍った雨滴を見ると、それが傘の面に衝突して八方に砕け散った飛沫がそのままの形に氷になっている。 凍雨と・・・ 寺田寅彦 「凍雨と雨氷」
・・・革鞄と毛布と蝙蝠傘とを両手一ぱいにかかえて狭き梯子を上って甲板に上がれば既に船は桟橋へ着きていたり。苅谷氏に昨夕の礼をのべて船を下り安松へ上がる。岡崎賢七とか云う人と同室へ入れられ、宅へ端書したゝむ。時計を見ればまだ三時なり。しかし六時の急・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・森の中でつくつくほうしがゆるやかに鳴いて、日陰だから人が蝙蝠傘を阿弥陀にさしてゆる/\あるく。山の上には人が沢山停車場から凌雲閣の方を眺めている。左側の柵の中で子供が四、五人石炭車に乗ったり押したりしている。機関車がすさまじい音をして小家の・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫