・・・孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。おぎんも――おぎんは二人に比べると、まだしもふだんと変らなかった。が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・同時にまた僕自身の顔色も見る見る血の気を失ったのを感じた。「ちゃんとした人じゃないんだね?」「あたしは悪い人とは思いませんけれど、……」 しかし妻自身も櫛部某に尊敬を持っていないことははっきり僕にわかっていた。ではなぜそう言うも・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・産婆の膝許には血の気のない嬰児が仰向けに横たえられていた。産婆は毬でもつくようにその胸をはげしく敲きながら、葡萄酒葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥の中にあけろと命じた。激しい芳芬と同時に盥の湯は血の・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 菊枝は嬉しそうに血の気のない顔に淋しい笑を含んだ。「むむ、」と頷いたがうしろ向になって、七兵衛は口を尖がらかして、鍋の底を下から見る。 屏風の上へ、肩のあたりが露れると、潮たれ髪はなお乾かず、動くに連れて柔かにがっくりと傾くの・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 婆さんは額の皺を手で擦り、「はや実にお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利と申すこと、丸顔で、小造に、肥っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰りそうそうと見えまして、白・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・……坊主が、これを皆食うか、と云った。坊主だけに鰯を食うかと聞くもいいが、ぬかし方が頭横柄で。……血の気の多い漁師です、癪に触ったから、当り前よ、と若いのが言うと、(人間の食うほどは俺と言いますとな、両手で一掴みにしてべろべろと頬張りました・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・生垣の根にはひとむらの茗荷の力なくのびてる中に、茗荷茸の花が血の気少ない女の笑いに似て咲いてるのもいっそうさびしさをそえる。子どもらふたりの心に何のさびしさがあろう。かれらは父をさしおき先を争うて庭へまわった。なくなられたその日までも庭の掃・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・平生顔の色など変える人ではないけれど、今日はさすがに包みかねて、顔に血の気が失せほとんど白蝋のごとき色になった。 自分ひとりで勝手な考えばかりしてる父はおとよの顔色などに気はつかぬ、さすがに母は見咎めた。「おとよ、お前どうかしたのか・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・妻は涙の泉も涸たか唯だ自分の顔を見て血の気のない唇をわなわなと戦わしている。「じゃア母上さんが……」と言いかけるのを自分は手を振って打消し、「黙っておいで、黙っておいで」と自分は四囲を見廻して「これから新町まで行って来る」「だっ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ ところがお湯に入って何気なく娘の身体をみたとき、私はみる/\自分の顔からサーッと血の気の引いて行くのが分りました。私の様子に、娘も驚いて、「どうしたの、お母さん?」といゝました。私は、どうしたの、こうしたのじゃない、まア、まア、お前の・・・ 小林多喜二 「疵」
出典:青空文庫