・・・とは大分違って、借金取の動作に注意の目をくばった。催促の身振りが余って腰掛けている板の間をちょっとでもたたくと、お辰はすかさず、「人さまの家の板の間たたいて、あんた、それでよろしおまんのんか」と血相かえるのだった。「そこは家の神様が宿ったは・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 亀吉は血相を変えていきなり言った。 お加代の顔には瞬間さっと不安な翳が走ったが、豹吉は顔の筋肉一つ動かさず、ぼそんとした浮かぬ表情を、重く沈ませていた。「……刑事の手が廻った」 という言葉の効果を期待していた亀吉は、簡・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・おせいはこんなことまで言いだして、血相を変えて、突かかってきた。「ばか! 誰がそんなことを言った?……お前の腹の子を大事に思えばこそ、誰も親身のもののいないこうした下宿なんかで、育てたくないと言ってるんじゃないか。それにお前なんかには、・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 彼はその晩も、こう言って、血相を変えて私に喰ってかかった。酒を飲んでいた私は、この突然な詰問に会って、おおいに狼狽した。「あれは、けっして君のことを書いたというわけではないじゃないか。あんな事実なんか、全然君にありゃしないじゃない・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・母は直ぐ血相変て、「オヤそれは何の真似だえ。お可笑なことをお為だねえ。父上さんの写真が何だというの?」「どうかそう被仰らずに何卒お返しを。今日お持返えりの物を……」「先刻からお前可笑なことを言うね、私お前に何を借りたえ?」「・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・こいつが、アレキサンダア・デュマの大ロマンスを読んで熱狂し、血相かえて書斎から飛び出し、友を選ばばダルタニアンと、絶叫して酒場に躍り込んだようなものなのだから、たまらない。めちゃめちゃである。まさしく、命からがらであった。 同じ失敗を二・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・という事を報道するや、以前お民をライオンから連出して大阪へ行っていたSさんという人が、一夕突然僕等のテーブルの傍に顕れ来って、「君は僕の女をとったそうだ。ほんとうか。」と血相を変えて叫んだこともあった。すると、やがて僕の身辺をそれとなく護衛・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 赤い着物を着た娘は、血相をかえて後を追い出した。追われると心付いて、男は洋袴にはまった脚を目まぐるしく動かして逃げる。後から娘は、加速度的に速さを増して追いすがろうとする。―― 二人の後姿が、見えないようになると、何と云う訳なのか・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ 血相をかえて話すので、私はぞうっとし、すっかり家中明け放した庭の暗が気味わるく成って来た。私はけんかは嫌いだ。切ったはったは何より嫌いだ。実際今夜人殺しがあるというのだろうか。 私は、落ついたような調子で、少し笑いさえ浮べていった・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・武器を持っている。血相もどうやら変っている。何を彼那に狙っているのか。……やったな。驚いた。俺さえ予定には入れていなかった此は一幕だ。――ついでに、一寸手を貸すかな。真実は根もない憎みや恐怖や、最大の名薬「夢中」を撒くと、同類の胸も平気で刺・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫