・・・小田原署はそのために非常動員を行い、全町に亘る警戒線を布いた。すると午後四時半ごろ右の狼は十字町に現れ、一匹の黒犬と噛み合いを初めた。黒犬は悪戦頗る努め、ついに敵を噛み伏せるに至った。そこへ警戒中の巡査も駈けつけ、直ちに狼を銃殺した。この狼・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・それが、純粋自然主義にあってはたんに見、そして承認するだけの事を、その同棲者が無遠慮にも、行い、かつ主張せんとするようになって、そこにこの不思議なる夫婦は最初の、そして最終の夫婦喧嘩を始めたのである。実行と観照との問題がそれである。そうして・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・興酣なる汐時、まのよろしからざる処へ、田舎の媽々の肩手拭で、引端折りの蕎麦きり色、草刈籠のきりだめから、へぎ盆に取って、上客からずらりと席順に配って歩行いて、「くいなせえましょう。」と野良声を出したのを、何だとまあ思います?・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ ややあって、「あの、いつか通った時、私くらいな年紀の、綺麗な姉さんが歩行いていなすった、あすこなんでしょう、そうでございますか。」「待たッせよ、お前くらいな年紀で、と、こうと十六七だな。」「はあ、」「十六七の阿魔はいく・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・千ちゃん、尼さんだって七十八十まで行い澄していながら、お前さんのために、ありゃまあどうしたというのだろう。何か、千ちゃん処は尼さんのお主筋でもあるのかい。そうでなきゃ分らないわ。どんな因縁だね。」 と心籠めて問う状なり。尼君のためなれば・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。 これから、名を由之助という小山判事は、埃も立たない秋の空・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 対岸には、搾取のない生産と、新しい社会主義社会の建設と、労働者が、自分たちのための労働を、行いうる地球上たった一つのプロレタリアートの国があった。赤い布で髪をしばった若い女が、男のような活溌な足どりで歩いている。ポチカレオへ赤い貨車が・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・けれども先輩達は長閑気に元気に溌溂と笑い興じて、田舎道を市川の方へ行いた。 菜の花畠、麦の畠、そらまめの花、田境の榛の木を籠める遠霞、村の児の小鮒を逐廻している溝川、竹籬、薮椿の落ちはららいでいる、小禽のちらつく、何ということも無い田舎・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・らるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう、即ち其恥ずべく忌むべく恐るべきは、刑に死すちょうことにあらずして、死者其人の極悪の質、重罪の行いに在るのではない歟。 仏国の革命・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・踊り屋台、手古舞、山車、花火、三島の花火は昔から伝統のあるものらしく、水花火というものもあって、それは大社の池の真中で仕掛花火を行い、その花火が池面に映り、花火がもくもく池の底から涌いて出るように見える趣向になって居るのだそうであります。凡・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
出典:青空文庫