・・・これにはさすがな間喜兵衛も、よくよく可笑しかったものと見えて、傍の衝立の方を向きながら、苦しそうな顔をして笑をこらえていた。「伝右衛門殿も老人はお嫌いだと見えて、とかくこちらへはお出になりませんな。」 内蔵助は、いつに似合わない、滑・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 広間の隅の、小さい衝立のようなものの背後で、何物かが動く。椅子の上の体は依然として顫えている。 異様な混雑が始まる。人が皆席を立って動く。八方から、丁度熱に浮かされた譫語のような、短い問や叫声がする。誰やらが衝立のような物の所へ駆・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・(誰方 とおっしゃって、あの薄暗いなかにさ、胸の処から少し上をお出し遊ばして、真白な細いお手の指が五本衝立の縁へかかったのが、はッきり見えたわ、御新造様だあね。 お髪がちいっと乱れてさ、藤色の袷で、ありゃしかも千ちゃん、この間お・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 何か、茸に酔った坊さんが、山奥から里へ迷出たといった形で、手をたたき、たたき、例の玄関の処へ出て、これなら聞えようと、また手を敲こうとする足許へ、衝立の陰から、ちょろりと出たのは、今しがた乳母どのにおぶわれていた男の児で、人なつッこく・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 嚔もならず、苦り切って衝立っておりますると、蝙蝠は翼を返して、斜に低う夜着の綴糸も震うばかり、何も知らないですやすやと寐ている、お雪の寝姿の周囲をば、ぐるり、ぐるり、ぐるりと三度。縫って廻られるたびに、ううむ、ううむ、うむと幽に呻いた・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・城の崖からは太い逞しい喬木や古い椿が緑の衝立を作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。 大きな井桁、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった。 若い女の人が二人、洗濯物を大盥で濯いでいた。 彼のいた所からは見えなかったが・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・屏風、衝立、御厨子、調度、皆驚くべき奢侈のものばかりであった。床の軸は大きな傅彩の唐絵であって、脇棚にはもとより能くは分らぬが、いずれ唐物と思われる小さな貴げなものなどが飾られて居り、其の最も低い棚には大きな美しい軸盆様のものが横たえられて・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・こういう処には、衝立のような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。 わたくしは路地を右へ曲ったり、左へ折れたり、ひや合いを抜けたり、軒の下をくぐったり、足の向くまま歩いて行く中、一度通った処へまた出たも・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・女は尺に足らぬ紅絹の衝立に、花よりも美くしき顔をかくす。常に勝る豊頬の色は、湧く血潮の疾く流るるか、あざやかなる絹のたすけか。ただ隠しかねたる鬢の毛の肩に乱れて、頭には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪挿したり。 白き香りの鼻を撲って、絹の影な・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 私はビール箱の衝立の向うへ行った。そこに彼女は以前のようにして臥ていた。 今は彼女の体の上には浴衣がかけてあった。彼女は眠ってるのだろう。眼を閉じていた。 私は淫売婦の代りに殉教者を見た。 彼女は、被搾取階級の一切の運命を・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫