・・・又あるときは頭よりただ一枚と思わるる真白の上衣被りて、眼口も手足も確と分ちかねたるが、けたたましげに鉦打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。これは癩をやむ人の前世の業を自ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシャロットの女は知るすべもあらぬ。 旅商人の・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・本でも読む時は上衣をとっている。外に出る時はこういうものを着るでしょう。それでシャツを着ているのは宜いが、皆んなは燕尾服を着て来ているのだからというと、イブセンは自分の行李の中には燕尾服などは這入っていない、もし燕尾服を着なければならぬよう・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・連れの男も上衣のボタン・ホールにリボンでこしらえたレーニンの肖像入りの飾りなどがついている。 小さい鈴蘭の束をさしたのもいる。 前日大群衆に揉みぬかれた都会モスクワと人とは、くたびれながらも、気は軽い。そう云う風だ。 店はしまっ・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・ 四十がらみの、ルバーシカの上へ黒い上衣を着た男が立って報告しているところだ。「タワーリシチ! われわれは工場新聞と各職場の壁新聞を動員して、少くとも九百人の文学衝撃隊が集められるだろうと思う。 どんなことがあっても、それより少・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・ 強盗が、カラーをとったワイシャツの上に縞背広の上衣だけきて入れられて来たが、留置場は冷淡な空気であった。何もとらずにつかまった。それが強盗としてのその男に対する与太者たちの評価に影響しているのであった。看守だけが、「――つまらんこ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これらの仲間の中には繩の一端へ牝牛または犢をつけて牽いてゆくものもある。牛のすぐ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・鼠色の長い着物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランのついた、おもちゃのような蝙蝠傘を持っている。渡辺は無意識に微笑をよそおってソファから起きあがって、葉巻を灰皿に投げた。女は、附いて・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・白き上衣の、腋の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣着たる人よりは崇ばるるを見ぬ。 森鴎外 「みちの記」
・・・そこここわがままに生えていた木もすでに緑の上衣を剥がれて、寒いか、風に慄えていると、旅帰りの椋鳥は慰め顔にも澄ましきッて囀ッている。ところへ大層急ぎ足で西の方から歩行て来るのはわずか二人の武者で、いずれも旅行の体だ。 一人は五十前後だろ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫