・・・ちょうど母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は、――御承知の通り私の店は綿糸の方をやっていますから、新潟界隈を廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋と、一つ汽車に乗り合せたのです。それが問わず語りに話した所では、母は・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・紙入や銭入も決して袋物屋の出来合を使わないで、手近にあり合せた袋で間に合わしていた。何でも個性を発揮しなければ気が済まないのが椿岳の性分で、時偶市中の出来合を買って来ても必ず何かしら椿岳流の加工をしたもんだ。 なお更住居には意表外の数寄・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・売薬や袋物を売ったり、下駄屋や差配人をして生活を営んでる傍ら小遣取りに小説を書いていたのを知っていた、今日でこそ渠等の名は幕府の御老中より高く聞えてるが其生存中は袋物屋の旦那であった、下駄屋さんであった、差配の凸凹爺であった。社会の公民とし・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ また此外に矢張りこれも同級の男で野崎というのがありましたが、此野崎の家は明神前で袋物などをも商う傍、貸本屋を渡世にして居ました。ところが此処は朝夕学校への通り道でしたから毎日のように遊びに寄って、種々の読本の類を引ずり出しては、其絵を・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・家人は着物を着かえながら、お金は失礼ゆえ、そのうち私が東京へ出て袋物かなにかのお品を、と言ったが、私は、お金のほうがいいのだ、と言って、二円、家人に手渡した。 家人がお隣りへ行って来ての話に、お隣りの御主人は名古屋のほうの私設鉄道の駅長・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・ こういうものの並んでいる間に散点してまた実に昔のままの日本を代表する塩煎餅屋や袋物屋や芸者屋の立派に生存しているのもやはり印画記録の価値が充分にある。 六国史などを読んで、奈良朝の昔にシナ文化の洪水が当時の都人士の生活を浸したころ・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 章子と東京の袋物の話など始めた女将の、大柄ななりに干からびたような反歯の顔を見ているうちに、ひろ子は或ることから一種のユーモアを感じおかしくなって来た。彼女はその感情をかくして、「一寸、あんたの手見せてごらんなさい」と云った。・・・ 宮本百合子 「高台寺」
出典:青空文庫