・・・彼はここに住んでいる被害妄想狂の瑞典人だった。しかも彼の名はストリントベルグだった。僕は彼とすれ違う時、肉体的に何かこたえるのを感じた。 この往来は僅かに二三町だった。が、その二三町を通るうちに丁度半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・使用人同様の玄関番の書生の身分で主人なり恩師なりの眼を窃んでその名誉に泥を塗るいおうようない忘恩の非行者を当の被害者として啻に寛容するばかりでなく、若気の一端の過失のために終生を埋もらせたくないと訓誡もし、生活の道まで心配して死ぬまで面倒を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 神田の新銀町の相模屋という畳屋の末娘として生れた彼女が、十四の時にもう男を知り、十八の歳で芸者、その後不見転、娼妓、私娼、妾、仲居等転々とした挙句、被害者の石田が経営している料亭の住込仲居となり、やがて石田を尾久町の待合「まさき」で殺・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ この大きな被害も、つまり大部分が火災から来たわけで、ただ地震だけですんだのならば、東京での死人もわずか二、三千人ぐらい、家屋その他の損害も八、九十分の一ぐらいにとどまったろうということです。 地震の、東京での発震は、九月一日の午前・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・国どこでもそのようでしたが、この地方も何十年振りかの大雪で、往来の電線に手がとどきそうになるほど雪が積り、庭木はへし折られ、塀は押し倒され、またぺしゃんこに潰された家などもあり、ほとんど大洪水みたいな被害で、連日の猛吹雪のため、このあたり一・・・ 太宰治 「嘘」
・・・私は、被害妄想狂では無いのである。決して、ことさらに、僻んで考えているのでは無いのである。事実は、或いは、もっと苛酷な状態であるかも知れない。同じ芸術家仲間に於いてすら、そうである。謂わんや、ふるさとの人々の炉辺では、辻馬の家の末弟は、東京・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・この一年間、私は芥川賞のために、人に知られぬ被害を受けて居ります。原稿かいて、雑誌社へ持って行っても、みんな、芥川賞もらってからのほうが、市価数倍せむことを胸算して、二ヶ月、三ヶ月、日和見、そのうちに芥川賞素通して、拙稿返送という憂目、再三・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ちが上野駅のコンクリートの上にごろ寝をしていた夜には、青森市に対して焼夷弾攻撃が行われたようで、汽車が北方に進行するにつれて、そこもやられた、ここもやられたという噂が耳にはいり、殊に青森地方は、ひどい被害のようで、青森県の交通全部がとまって・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・昨年の晩秋、私の友人が、ついにこれの被害を受けた。いたましい犠牲者である。友人の話によると、友人は何もせず横丁を懐手してぶらぶら歩いていると、犬が道路上にちゃんと坐っていた。友人は、やはり何もせず、その犬の傍を通った。犬はその時、いやな横目・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・卑屈は、恥に非ず。被害妄想と一般に言われている心の状態は、必ずしも精神病でない。自己制御、謙譲も美しいが、のほほん顔の王さまも美しい。どちらが神に近いか、それは私にも、わからない。いろいろ思いつくままに、言いました。罪の意識という事に就いて・・・ 太宰治 「みみずく通信」
出典:青空文庫