・・・その高慢と欲との鬩ぎあうのに苦しめられた彼は、今に見ろ、己が鼻を明かしてやるから――と云う気で、何気ない体を装いながら、油断なく、斉広の煙管へ眼をつけていた。 すると、ある日、彼は、斉広が、以前のような金無垢の煙管で悠々と煙草をくゆらし・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・だから死際の装いをしたのだ。――その時も私は心なく笑ってしまった。然し、今はそれも笑ってはいられない。 深夜の沈黙は私を厳粛にする。私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・玉なめらかに、きめ細かに、白妙なる、乳首の深秘は、幽に雪間の菫を装い、牡丹冷やかにくずれたのは、その腹帯の結びめを、伏目に一目、きりきりと解きかけつつ、「畜生……」 と云った、女の声とともに、谺が冴えて、銃が響いた。 小県は草に・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ども、児として幼少より養育されて、母とも思う叔母に会して、永き離別を惜まんため、朝来ここに来りおり、聞くこともはた謂うことも、永き夏の日に尽きざるに、帰営の時刻迫りたれば、謙三郎は、ひしひしと、戎衣を装い、まさに辞し去らんとして躊躇しつ。・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・が、いずれも葉を振るって、素裸の山神のごとき装いだったことは言うまでもない。 午後三時ごろであったろう。枝に梢に、雪の咲くのを、炬燵で斜違いに、くの字になって――いい婦だとお目に掛けたい。 肱掛窓を覗くと、池の向うの椿の下に料理番が・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・実はいましめたるにあらず、手にてしかく装いたるなり。人形を桑の一木に立掛け、跪いて拝む。かくてやや離れたる処にて、口の手拭御新造様。そりゃ、約束の通り遣って下せえ。(足手を硬直し、突伸べ、ぐにゃぐにゃと真俯向けに草に俯夫人 ほんとうなの・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ と上手に御飯を装いながら、ぽたぽた愛嬌を溢しますよ。 五 御膳の時さえ、何かと文句があったほど、この分では寝る時は容易でなかろうと、小宮山は内々恐縮をしておりましたが、女は大人しく床を伸べてしまいました。夜・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・僕はこれを胸に押さえて平気を装い、「それがつらいのか?」「どうしても、疑わしいッて聴かないんだもの、癪にさわったから、みんな言っちまった――『あなたのお世話にゃならない』て」「それでいいじゃアないか?」「じゃア、向うがこれか・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・アアいう人目に着く粧いの婦人に対してはとかくにあらぬ評判をしたがるもんだから、我々は沼南夫人に顰蹙しながらも余りに耳を傾けなかった。が、沼南の帰朝が近くなるに従って次第に風評が露骨になって、二、三の新聞の三面に臭わされるようになった。 ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・昨日の大阪の顔は或は古く或は新しくさまざまな粧いを凝らしていたものだが、今日の大阪はすでに在りし日のそうした化粧しない、いわゆる素顔である。つまりは、素顔の中に泛んだ表情なのである。それだけに本物であり、そしてまた本物であるだけに、わざとら・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
出典:青空文庫