・・・又見ずにはいられない場合もその短所を補うべき何か他の長所を探したであろう。何か他の長所と云えば、天下に我我の恋人位、無数の長所を具えた女性は一人もいないのに相違ない。アントニイもきっと我我同様、クレオパトラの眼とか唇とかに、あり余る償いを見・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・そうして、その不備の点を補うためにさらに補助的研究を遂行しなければならないようになることもしばしばあるのである。それからまた、頭の中で考えただけでは充分につじつまが合ったつもりでいた推論などが、歴然と目の前の文章となって客観されてみると存外・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それはとにかく、さし当たってそういう土民に鉄筋コンクリートの家を建ててやるわけにも行かないとすれば、なんとかして現在の土角造りの長所を保存して、その短所を補うようなしかも費用のあまりかからぬ簡便な建築法を研究してやるのが急務ではないかと思わ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・物理学的に考えてみると、一度始まった弦の振動をその自然の進行のままに進行させ、そうしてそのエネルギーの逸散を補うに足るだけの供給を、弦と弓の毛との摩擦に打ち勝つ仕事によって注ぎ込んで行くのであるが、その際もし用弓に少しでも無理があると、せっ・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・陸地の上の空気は海上よりも強くあたたまり、膨張して高い所の空気が持ち上がるから、そこで海のほうへあふれ出すので、それを補うため、下では海面から陸のほうへ空気が流れ込むのがすなわちこの風です。それだから海軟風の吹く前には、空の高い所では逆の風・・・ 寺田寅彦 「夏の小半日」
・・・しかし現在の実験を遂行する場合にこの物足りなさを補うべき代用物はいくらでも考え得られる。それにはいわゆる新聞小説よりももっとおもしろくて上等でかつ有益な小説もあろうし、風聞録の代わりになるもっとまとまった読み物もあるだろう。そういう書物を毎・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・わたしは小説たる事を口実として、観察の不備を補うに空想を以てする事の制作上甚危険である事を知っている。それがため適当なるモデルを得るの日まで、この制作を中止しようと思い定めた。 わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必亡友井上唖・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・風俗画報社の『新撰東京名所図会』もまた『江戸繁昌記』を引きこれを補うに加藤善庵が『墨水観花記』を以てしている。わたくしは塩谷宕陰の文集に載っている「遊墨水記」を以て更にこれを補うであろう。 静軒の文は天保に成ったもの、宕陰の記は慶応改元・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・余は毎月刊行の雑誌に掲載される凡ての小説とはいわないつもりであるが、その大部分、即ち或る水平以上に達したる作物に対してはこの保護金なり奨励金なりを平等に割り宛て、当分原稿料の不足を補うようにしたら可かろうと思う。固より各人に割り宛てれば僅か・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・同じ浪漫派にしても我々現在生活の陥欠を補う新らしい意義を帯びた一種の浪漫的道徳でなければなりません。 道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起るべき小反動は要するにかくのごとき性質のものであって、道徳と文芸との密接なる関係もま・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫