にしかわこうじろう【西川光二郎】
[1876〜1940]社会主義者。兵庫の生まれ。片山潜に協力して「労働世界」を発行。また、社会民主党結成に加わり、幸徳秋水らの平民社に参加。大逆事件後は転向し、精神修養家となる。
にしかわじょけん【西川如見】
[1648〜1724]江戸中期の天文・地理学者。長崎の人。名は忠英。号、求林斎 (ぐりんさい) 。宋学・天文暦算を学び、儒教的自然観をとりつつ実証主義的見地を展開した。晩年、徳川吉宗に仕えた。著「華夷通商考」「町人嚢 (ちょうにんぶくろ) 」「天文義論」など。
にしかわすけのぶ【西川祐信】
[1671〜1750]江戸中期の浮世絵師。京都の人。号、自得叟・文華堂など。西川派の祖。初め狩野派を学び、さらに大和絵画法を会得し、折衷した画風を確立。肉筆美人画を得意とした。また、絵本作家として浮世草子の挿絵を多数描いた。
にしかわせんぞう【西川扇蔵】
日本舞踊西川流の家元の名。初世(?〜1756)は千蔵または仙蔵といったが、2世千蔵が扇蔵と改名、以後代々扇蔵を名のる。2世(?〜1817)・4世(1792〜1845)・5世(?〜1860)が江戸の振付師として有名。
にしかわは【西川派】
浮世絵の一派。西川祐信を祖とする。
にしかわりゅう【西川流】
日本舞踊の流派の一。初世西川千蔵を流祖とするが、流儀として確立したのは2世扇蔵。江戸中期から後期にかけて、江戸の歌舞伎劇場の振り付けを行い流勢を誇った。分派として名古屋西川流と正派西川流とがある。