・・・が出た明治三十二年といえば、西暦一八九九年、まさにキュリー夫妻が彼らの記念すべき物理学校の粗末な実験室で辛苦協力の成果としてラジウムを発見した翌年である。イプセンの「人形の家」が書かれたのは日本の明治十一年であった。そしてモウパッサンの「女・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・ 醍醐帝の延喜年間、西暦十世紀頃、京の都大路を、此那実際家、ゆとりのない心持の貴族が通って居たと思うと、或微笑を禁じ得ないではないか。 彼は又、薬師経を枕元で読ませて居た時、軍くびら大将とよみあげたのを、我を縊ると読みあげたと勘違い・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・ わが国の古墳時代というと、西暦紀元の三世紀ごろから七世紀ごろまでで、応神、仁徳朝の朝鮮関係を中心とした時代である。あれほど大きい組織的な軍事行動をやっているくせに、その事件が愛らしい息長帯姫の物語として語り残されたほどに、この民族の想・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
出典:青空文庫