・・・犬の群は、白い霜の上に落ちたその黒い影法師と一緒に動いて、ボヤけた月に、どうかすると、どちらが、犬か、影法師か見分けがつかなくなったりした。支那兵は、彼等と一緒に、共同の敵にむかったときにもそうするであろうように執拗に犬の群を追いまくった。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 二 薄暗い、一寸、物が見分けられない、板壁も、テーブルも、床も黒い室へつれて行かれた。造りが、頑丈に、──丁度牢屋のように頑丈に出来ている。そこには、鉄の寝台が並んでいた。 これがお前の寝台だ。とある寝台の前・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・ 騎馬の男は、靄に包まれて、はっきりその顔形が見分けられなかった。けれども、プラトオクに頭をくるんだ牛を追う女は、馬が自分の傍を通りぬける時、なつこい声をかけた。「ミーチャ!」「ナターリイ。」 騎者の荒々しい声を残して、馬は・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・然したッた一目で、それが我々の仲間か、それともコソ泥か強盗か直ぐ見分けがついた。――編笠を頭の後にハネ上げ、肩を振って、大股に歩いている、それは同志だった。暗い目差しをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・高瀬はその熱を帯びた、陰影の多い雲の形から、青空を流れる遠い水蒸気の群まで、見分けがつくように成った。 休みの時間毎に、高瀬は窓へ行った。極く幼少い時の記憶が彼の胸に浮んで来た。彼は自分もまた髪を長くし、手造りにした藁の草履を穿いていた・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・木が一本一本見分けられる。忽ちまた真向うの、石を斫り出す処の岩壁が光り出した。それが黄いろい、燃え上がっている石の塀のように見える。それと同時に河に掛かっている鉄の船も陸に停まっている列車も光り出す。広々とした河水がまぶしいような銀色の光を・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・われわれの見た蟻や蜜蜂のように個体の甲と乙との見分けがつかなくならなければその「集団」はまだ本物になっていないと思う。 十一月十日、木曜。池袋から乗り換えて東上線の成増駅まで行った。途中の景色が私には非常に気にいった。見渡す限り平坦・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・猿や鳥などが、その食料とするいろいろの昆虫の種類によって著しい好ききらいがあって、その見分けをある程度までは視覚によってつけるらしいということが知られている。それでたとえばわれらの祖先のある時代に芋虫や毛虫を食ってひどい目に会ったという経験・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・子供の顔はよく両親に似ている、二人のまるでちがった容貌がその児の愛らしい顔の中ですっかり融和されてしまってどれだけが父親、どれだけが母親のと見分けはつかぬ。児の顔を見て後に両親を見くらべるとまるでちがった二つの顔がどうやら似通って見えるのが・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・という灯が見えるが、さて共処まで行って、今歩いて来た後方を顧ると、何処も彼処も一様の家造りと、一様の路地なので、自分の歩いた道は、どの路地であったのか、もう見分けがつかなくなる。おやおやと思って、後へ戻って見ると、同じような溝があって、同じ・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫