・・・……源助、実は年上のお前を見掛けて、ちと話があるがな。」 出方が出方で、源助は一倍まじりとする。 先生も少し極って、「もっとこれへ寄らんかい。」 と椅子をかたり。卓子の隅を座取って、身体を斜に、袴をゆらりと踏開いて腰を落しつ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・が、見掛けた目にも、若い綺麗な人の持ものらしい提紙入に心を曳かれた。またそれだけ、露骨に聞くのが擽ったかったのを、ここで銑吉が棄鞭を打った。「お爺さん、お寺には、おかみさん、いや、奥さんか。」 小さな声で、「おだいこくがおいでか・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・地方の盛場には時々見掛ける、吹矢の機関とは一目視て紫玉にも分った。 実は――吹矢も、化ものと名のついたので、幽霊の廂合の幕から倒にぶら下がり、見越入道は誂えた穴からヌッと出る。雪女は拵えの黒塀に薄り立ち、産女鳥は石地蔵と並んでしょんぼり・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・……先刻、山越に立野から出るお稚児を二人、大勢で守立てて通ったきり、馬士も見掛けない。――留守は退屈だ――ああ太鼓が聞える。……この太鼓は、棒にて荷いつりかけたるを、左右より、二人して両面をかわるがわる打つ音なり、ドーン、ドーンドー・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・第一本当であったらおとよさんは見掛けによらず不埒な女郎だ。いやそんなことがあるもんか。うそだ。うそだうそだと心で言うほど、思いあたる事が出てくる。おとよさんがおれに親切なは今度の稲刈りの時ばかりでない。成東の祭りの時にも考えればおかしかった・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・軽焼の後身の風船霰でさえこの頃は忘られてるので、場末の駄菓子屋にだって滅多に軽焼を見掛けない。が、昔は江戸の名物の一つとして頗る賞翫されたものだ。 軽焼は本と南蛮渡りらしい。通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・沼南の味も率気もない実なし汁のような政治論には余り感服しなかった上に、其処此処で見掛けた夫人の顰蹙すべき娼婦的媚態が妨げをして、沼南に対してもまた余りイイ感じを持たないで、敬意を払う気になれなかった。 が、この不しだらな夫人のために泥を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・「昨日は酒屋の御用が来て、こちらさまのに善く似た犬の首玉に児供が縄を縛り付けて引摺って行くのを壱岐殿坂で見掛けたといったから、直ぐ飛んでって其処ら中を訊いて見たが、皆くれ解らなかった。児供に虐め殺された乎、犬殺しの手に掛ったか、どの道モウい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・瀟洒な洋装で肥馬に横乗りするものを其処ら中で見掛けた。更に突飛なのは、六十のお婆さんまでが牛に牽かれて善光寺詣りで娘と一緒にダンスの稽古に出掛け、お爨どんまでが夜業の雑巾刺を止めにして坊ちゃんやお嬢さんを先生に「イット、イズ、エ、ドッグ」を・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・というのは見掛けのものであって、当時者の間にはいろいろの不満も、倦怠も、ときには別離の危険さえもあったであろうが、愛の思い出と夫婦道の錬成とによってその時機を過ごすと多くは平和な晩年期がきて終わりを全うすることができるのである。今更・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
出典:青空文庫