・・・ 二十八の歳に朝鮮から仕入れた支那栗を売って、それが当って相当の金が出来ると、その金を銀行に預けて、宗右衛門町の料亭へ板場の見習いにはいり、三年間料理の修業をした後、三十一歳で雁次郎横丁へ天辰の提灯を出した。四年の間に万とつく金が出来て・・・ 織田作之助 「世相」
・・・この子は十八の歳に中学を辞して、私の郷里の山地のほうで農業の見習いを始めていた。これは私の勧めによることだが、太郎もすっかりその気になって、長いしたくに取りかかった。ラケットを鍬に代えてからの太郎は、学校時代よりもずっと元気づいて来て、翌年・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・なんというか、まあ、お宅のような大家にあがって行儀見習いした者は、やはりどこか、ちがいましてな」すこし顔を赤くして笑い、「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、しじゅうして居ります。こんどの公休には、きっと一緒にお礼にあがります」急に真面・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・てるも追々お嫁さんになれるとしごろになったのだから、ただ行儀見習いだけのつもりで、ひとつ立派なお屋敷に奉公してみる気はないか、と老母にすすめられ、親の言う事には素直なてるは、ほんとうに、毎日こうしてうちで遊んでいるよりは、と機嫌よく承知した・・・ 太宰治 「古典風」
・・・主婦と娘と、家事の見習いかたがた手伝いに来ているというスチューバー嬢と四人で行きました。狭い室におもちゃのような小さい低い机と椅子を並べて、それにいっぱい子供がうようよしている。みんな貧しそうな子ばかりで、中には風邪を引いたのがだいぶあって・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・就中幼少の時、見習い聞き覚えて習慣となりたることは、深く染み込めて容易に矯め直しの出来ぬものなり。さればこそ習慣は第二の天性を成すといい、幼稚の性質は百歳までともいう程のことにて、真に人の賢不肖は、父母家庭の教育次第なりというも可なり。家庭・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・嘉久子のところにいたの、手伝いしながら見習いしていたの。――何にも、まだ教えてくれないけれど……」「――女優になるの?」 お千代ちゃんは黙って頸を下げた。その時、由子は、紅玉色の、硝子の、薔薇カットの施こされた簪をお千代ちゃんのたっ・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・「ABC的観念的批評をやりながら」「おそろしくいい気持で」「傲慢な罵倒」を「小ブル的自己満足」をもってしている。又、中條という「少し太りすぎて眼鏡などかけた雌蛙」「プロレタリア文学における」「見習い女中にすぎない」者が「藤森さんやきみやぼく・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・アサが文選の仕事を見習いはじめてからの情景、山岸がアサに「お前帰れ――家へ帰れよ」と云う夫婦の心持の縺れの描写のあたりは職場での男対女の感情のしきたりを描いた五章の一のあたりとともに、生彩を放っている。 働く女が働くものとして自身の技術・・・ 宮本百合子 「徳永直の「はたらく人々」」
・・・人道主義的作家見習いにはなったが、当時の所謂文壇とはちっとも交渉がなかった。わずかに久米正雄、芥川龍之介などを知るだけで、自分が文壇の中へ入ろうとは思っていなかった。民族的滅亡に追いこまれているアイヌのことを書きたいと思って北海・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫