・・・不思議と左を見詰めると、この飾もまた、光を放って、腕を開くと胸がまた晃きはじめた。 この光、ただに身に添うばかりでなく、土に砕け、宙に飛んで、翠の蝶の舞うばかり、目に遮るものは、臼も、桶も、皆これ青貝摺の器に斉い。 一足進むと、歩く・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ とじっと見詰めると、恍惚した雪のようなお君の顔の、美しく優しい眉のあたりを、ちらちらと蝶のように、紫の影が行交うと思うと、菫の薫がはっとして、やがて縋った手に力が入った。 お君の寂しく莞爾した時、寂寞とした位牌堂の中で、カタリと音・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・とこちらを見詰める。「あら、目を閉ってるものがあるものか。……さ、写りますよ。……ただ今。はいありがとう」と手に持った厚紙の蓋を鑵詰へ被せると、箱の中から板切れを出して、それを提げて、得意になって押入の前へ行く。「章ちゃん、もう夜は・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・二人は、森のはずれに立って、云い合わせたように、遠い寺の塔に輝く最後の閃光を見詰める。 一度乾いていた涙が、また止め度もなく流れる。しかし、それはもう悲しみの涙ではなくて、永久に魂に喰い入る、淋しい淋しいあきらめの涙である。 夜が迫・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・丁度活動写真を見詰める子供のように、自分は休みなく変って行く時勢の絵巻物をば眼の痛なるまで見詰めていたい。明治四十四年七月 永井荷風 「銀座」
・・・傾いた日輪をば眩しくもなく正面に見詰める事が出来る。この黄味の強い赤い夕陽の光に照りつけられて、見渡す人家、堀割、石垣、凡ての物の側面は、その角度を鋭く鮮明にしてはいたが、しかし日本の空気の是非なさは遠近を区別すべき些少の濃淡をもつけないの・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其顔を見詰めると、お民の方でもじろりと僕の顔を尻目にかけて壁の懸物へと視線をそらせたが、その瞬間僕の目に映じたお民の容貌の冷静なことと、平生から切長の眼尻に剣のあった其の眼の鋭い事とは・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・今度は本当に威嚇かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入る・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・種々な偏見や、反抗を捨てて、凝っと自分の仕事を見詰めると、少くとも自分は、正直に、成っていない事を直覚せずにはいられない。その未熟な事は、勿論芸術的経験の乏しい事にも依る。然し、創作も、筆先の器用さでのみ決するのを正としない自分は、どうかし・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ どこかで計画しているだろうと思うようなこと、想像で計り知られるようなこと、実際これはこうなる、あれはああなると思うような何んでもない、簡単なことが渦巻き返して来ると、ルーレットの盤の停止点を見詰めるように、停るまでは動きが分らなく・・・ 横光利一 「鵜飼」
出典:青空文庫