・・・と運転手は一筋路を山の根へ見越して、やや反った。「半月の上だって落着いている処じゃないぜ。……いや、もうちと後路で気をつけようと、修善寺を出る時から思っていながら、お客様と話で夢中だった。――」「何、海岸まわりは出来ないのですかね。」「いい・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・四方板べいで囲まれ、すみに用水おけが置いてある、板べいの一方は見越しに夏みかんの木らしく暗く茂ったのがその頂を出している、月の光はくっきりと地に印して寂として人のけはいもない。徳二郎はちょっと立ち止まって聞き耳を立てたようであったが、つかつ・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ 私は草を敷いて身を横たえ、数百年斧の入れたことのない欝たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望んで楽しんだことも幾度であるかわかりませんほどでした。 ある日曜の午後と覚えています、時は秋の末で、大空は水のごとく澄んでいながら野分吹き・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・端界に相場が出るのを見越して持っていた僅かばかりの米も、半ばは食ってしまった。それでもおしかは十月の初めに清三が健康を恢復して上京するのを見送ると、自分が助かったような思いでほっとした。もう来年の三月まで待てばいいのである。負債も何も清三が・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ とやはり私が、はじめからこうしてかえって来るのを見越して、このお店に先廻りして待っていたもののように考えているらしい口振りでしたから、私は笑って、「ええ、そりゃもう」 とだけ、答えて置きましたのです。 その翌る日からの私の・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規とかでいっこう気の利かない定義になってしま・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 嫁の実家、又は養子の実家のいいと云う事は、なかなか馬鹿に出来ないものだのに、フラフラと出来心でこんな事をして、揚句は、見越しのつかない病気になんかかかられて、食い込まれる…… お君が半紙をバリバリと裂いた音に、お金の考えが途中で消・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・しかしながら、新聞は、繭の高価を見越し、米の上作を見越して債権者はこの秋こそ一気に数年来の貸金をとり立てようとしているから、それを注意せよ、当局もそこから生じる紛争を警戒している、というのである。農民は今日の社会的事情にあっては、実った稲を・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・けれども、宣言的な前便については一言もふれず、じかに人情に訴える効果を見越したような運びかたは、はる子に落付けないのであった。悲しいいやな心持で、はる子は手紙を状差しにしまった。 秋が来た。夕方、忽ち夜になる。俄かな宵闇に広告塔のイ・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・弱いあきらめや、浅はかな見越しをすて真実の世界をつなぐ花の環の一環として、平和を守る世界正義の下へ日本の勤労階級の正義をも結び合わしてゆかなければならない。これこそ、今年のメーデーに期待される重大な一つの歩み出しであると信じる。〔一九四八年・・・ 宮本百合子 「正義の花の環」
出典:青空文庫