・・・甲板に立った銭占屋の姿がだんだん遠ざかって行くのを見送りながら、私は今朝その話の中に引いた唄の文句を思いだして、「どこのいずこで果てるやら――まったくだ、空飛ぶ鳥だ!」とそう思った。 が、その小蒸汽の影も見えなくなって、河岸縁に一人・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 私はすぐまた踊りの群といっしょに立ち去って行った文子の後ろ姿を見送りながら、つくづく夜店出しがいやになったばかりか、何となく文子のいる大阪にいたたまれぬ気がしました。極端から極端へと走りやすい私の気持は、やがて私を大阪の外へ追いやりま・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ と、座蒲団をすすめておいて、写本をひらき、「あと見送りて政岡が……」 ちらちらお君を盗見していたが、しだいに声もふるえてきて、生つばを呑みこみ、「ながす涙の水こぼし……」 いきなり、霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬ・・・ 織田作之助 「雨」
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。 誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・何台もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友もその晩は快かったにちがいありません。「電車のなかでは顔が見難いが往来からだとかすれちがうときだとかは、かなり長い間見ていられるものだね」と云いました。なにげ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・膳の通い茶の通いに、久しく馴れ睦みたる婢どもは、さすがに後影を見送りてしばし佇立めり。前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕のたつきも知らざりし山中も、年々の避暑の客に思わぬ煙を増して、瓦葺きの家も木・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ げに見すぼらしき後ろ影、蓬なす頭、色あせし衣、われはしばしこれを見送りてたたずみぬ。この哀れなる姿をめぐりて漂う調べの身にしみし時、霧雨のなごり冷ややかに顔をかすめし時、一陣の風木立ちを過ぎて夕闇嘯きし時、この切那われはこの姉妹の行く・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・大友ばかりでなく神崎や朝田も一緒である。見送り人の中にはお正も春子さんもいた。 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・と不足らしい顔つきして女を見送りしが、何が眼につきしや急にショゲて黙然になって抽斗を開け、小刀と鰹節とを取り出したる男は、鰹節の亀節という小きものなるを見て、「ケチびんなものを買っときあがる。と独言しつつそこらを見廻して、やがて・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・で、万事贅沢安楽に旅行の出来るようになった代りには、芭蕉翁や西行法師なんかも、停車場で見送りの人々や出迎えの人々に、芭蕉翁万歳というようなことを云われるような理屈になって仕舞って、「野を横に汽車引むけよ郭公」とも云われない始末で、旅行に興味・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
出典:青空文庫