・・・ 女子教育の視察に行く人は多く男性ではありませんでしょうか。 美術や文学の美くしさを探ろうとして来る人々の裡に、幾人の女性が居りますでしょう。 異性が異性を見る場合に、兎角起り勝ちな、又、殆ど総ての場合に附帯して来る、多大の寛容・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・海を渡って早速何人かの作家が現地視察に赴き、その報告の文章が各雑誌に競って載せられた。社会事情の変化と共に大陸を背景として行われている歴史的な行動における人間の記録は、人間の精神と肉体との白熱的な報告として行き詰った文学の世界に新生を与える・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・日本の国民学校六年の卒業生の実力が四年修業程度しかないことが、アメリカの教育視察団によって報告された。民主日本建設のために人民一般の知能水準の向上のために義務教育の年限を長くしなければならないとされ、文部省は六・三制ということをきめた。九年・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・そして、朝日新聞社からロシア視察旅行に赴き、あちらで発病して、明治四十二年五月帰途の船が印度洋を通っているとき病歿した。 二葉亭の悲劇は決して旅の半ば船中でその生涯を終ったことではない。彼の悲劇は、あれだけ日本のために文学をもって働きか・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・スターリングラードの耕作トラクトル工場見学に行って、ずうっとドンの炭山まで視察だ」 見学団も各工場から出る。新しいソヴェトがどんないい工場を持ってるか、集団農場、国営農場はどんなにやっているか、都会の工場からの代表が一大隊繰り出すのにも・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・ 作者が大いに視察記録しようと出かけた意気込みは、ほのかに分る。が、いざ実際、組織強固な帝国主義侵略軍の間にもまれて見ると、彼がどんなに内心びっくりし、臆病になり、完全にファッシズムに降参してしまっているかが文章の間からうかがわれる。・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 足かけ三年前、『働く婦人』という婦人のための雑誌が出ていた時分、一般の婦人雑誌がとりあげるに先だってそこの婦人の記者が東北飢饉地方を視察にゆき、その記事を連載したことがあった。現実を正しく反映するそういう種類の婦人雑誌がなくなることも・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・M氏程まだ充分イギリスを内臓へ吸収せぬ後輩、あるいははるばる官費で英国視察に来た連中が時間と語学の不足から彼のもとへ駈け込み、集約英国観察供給方を依頼する。 時に例えば某学校長のような訪問客さえある。校長君の意見によると英国を英国たらし・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫