・・・闇の中の湖水は、鉛のように凝然と動かず、一魚一介も、死滅してここには住まわぬ感じで、笠井さんは、わざと眼をそむけて湖水を見ないように努めるのだが、視野のどこかに、その荒涼悲惨が、ちゃんとはいっていて、のど笛かき切りたいような、グヮンと一発ピ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・従ってその視野と視角は固定してしまっている。しかし映画では第一その舞台が室内にでも戸外にでも海上にでも砂漠にでも自由に選ばれる。そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・学生時代に夜更けて天文の観測をやらされた時など、暦表を繰って手頃な星を選み出し、望遠鏡の度盛を合わせておいて、クロノメーターの刻音を数えながら目的の星が視野に這入って来るのを待っている、その際どい一、二分間を盗んで吸付ける一服は、ことに凍る・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・そうして星がちょうど糸を通過する瞬間を頭の中の時のテープに突き止めるのであるが、まだよく慣れないうちは、あれあれと思う間に星のほうはするすると視野を通り抜けてしまってどうする暇もない。しかし慣れるに従って星がだんだんにのろく見えて来る、一秒・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・写真機のピントガラスに映った自然や、望遠鏡の視野に現われた自然についても、時に意外な発見をして驚くのは何人にも珍しくない経験である。 芸術家としてどうすれば新しい見方をする事が出来るかという事は一概に云えない。それは人々の天性や傾向にも・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・そのかわりにそのカメラの視野内に起こった限りの現象は必然的なものも偶然的なものも委細かまわず細大もらさず記録され再現されるのである。たとえば幕が落ちる途中でちょっと一時何かに引っかかったが、すぐに自然にはずれて首尾よく落ちる、その時の幕の形・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
・・・新物理学の考え方がいろいろな点で古典的物理学の常識に融合しないように感ずるのは、畢竟古典的物理学がただ自然界の半面だけを特殊な視野の限定されためがねで見ていたために過ぎないのであって、そのやぶにらみの一例としては、私がここで特に声を大きくし・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・しかも一度対象認識の立場に立った以上、何処までも知るというものは視野に入って来ない。実在界とはいわゆる認識形式に当嵌ったもののみである。知られたものである、知るものではない。私は古来の伝統の如く、哲学は真実在の学と考えるものである。それはオ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ ――この上に、無限に高い空と、突っかかって来そうな壁の代りに、屋根や木々や、野原やの――遙なる視野――があればなあ、と私は淋しい気持になった。 陰鬱の直線の生活! 監獄には曲線がない。煉瓦! 獄舎! 監守の顔! 塀! 窓! 窓・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 殊に、そこは視野が広くて、稀には船なども見ることが出来たし、島なども見えた。 フックラと莟のように、海に浮いた島々が、南洋ではどんなに奇麗なことだろう。それは、ひどい搾取下にある島民たちで生活されているが、見たところは、パラダイス・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫