・・・生死即涅槃と云い、煩悩即菩提と云うは、悉く己が身の仏性を観ずると云う意じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来、煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳、娑婆世界は常寂光土にひとしい。道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よ・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・――楊は、虱になって始めて、細君の肉体の美しさを、如実に観ずる事が出来たのである。 しかし、芸術の士にとって、虱の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない。 芥川竜之介 「女体」
・・・日本の文人は東京の中央で電灯の光を浴びて白粉の女と差向いになっていても、矢張り鴨の長明が有為転変を儚なみて浮世を観ずるような身構えをしておる。同じデカダンでも何処かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的デカダンである。国民的の長所・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・かく観ずる裡に、人にも世にも振り棄てられたる時の慰藉はあるべし。かく観ぜんと思い詰めたる今頃を、わが乗れる足台は覆えされて、踵を支うるに一塵だになし。引き付けられたる鉄と磁石の、自然に引き付けられたれば咎も恐れず、世を憚りの関一重あなたへ越・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「なるほど、茶法の極意を和敬清寂と利休のいったのに対して、それを延して、人に見せるがためにあらず自己の心法を観ずる道場なりと変化さし得て今に至ったことは、ここに何事か錯乱を妨ぐ精神生活者の高い秘密がある」と直覚した久内に、全く賛同しているの・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・落ちつけないという断念に――すなわちこの世を苦渋の世界と観ずることに、落ちつきを求めるか。あるいは絶対の力にすがるか。あるいはなすべきことをなし切らない自己を鞭うつか。あるいは社会の改造に活路を認めるか。――それらはおのおの一つの道である。・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫