・・・あいつはこの間もどう云う量見か、馬頭観世音の前にお時宜をしていました」「気味が悪くなるなんて、……もっと強くならなければ駄目ですよ」「兄さんは僕などよりも強いのだけれども、――」 無精髭を伸ばした妻の弟も寝床の上に起き直ったまま・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・僕は人の手に作られた石の地蔵に、かしこくも自在の力ましますし、観世音に無量無辺の福徳ましまして、その功力測るべからずと信ずるのである。乃至一草一木の裡、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮に観音立ち給い、必ずしも紫陽花に鬼神・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 浅草寺観世音の仁王門、芝の三門など、あの真中を正面に切って通ると、怪異がある、魔が魅すと、言伝える。偶然だけれども、信也氏の場合は、重ねていうが、ビルジングの中心にぶつかった。 また、それでなければ、行路病者のごとく、こんな壁・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・それから――無住ではない、住職の和尚は、斎稼ぎに出て留守だった――その寺へ伴われ、庫裡から、ここに准胝観世音の御堂に詣でた。 いま、その御廚子の前に、わずかに二三畳の破畳の上に居るのである。 さながら野晒の肋骨を組合わせたように、曝・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・「この寺に観世音。」「ああ居らっしゃるとも、難有い、ありがたい……」「その本堂に。」「いや、あちらの棟だ。――ああ、参らっしゃるか。」「参ろうとも。」「おお、いい事だ、さあ、ござい、ござい。」 と抱込んだ木魚を、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・時雨の如意輪観世音。笠守の神。日中も梟が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。―― 清水の真空の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎のあたりには、高山植物として、こうした町・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・此方から推着けに、あれそれとも極められないから、とにかく、不承々々に、そうか、と一帆の頷いたのは、しかし観世音の廻廊の欄干に、立並んだ時ではない。御堂の裏、田圃の大金の、とある数寄屋造りがちょっと隠れて、気の着かぬ処に一室ある…… 数寄・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・まさしく観世音の大慈の利験に生きたことを忘れない。南海霊山の岩殿寺、奥の御堂の裏山に、一処咲満ちて、春たけなわな白光に、奇しき薫の漲った紫の菫の中に、白い山兎の飛ぶのを視つつ、病中の人を念じたのを、この時まざまざと、目前の雲に視て、輝く霊巌・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・たとえば観世音がある。歓喜天がある。弁財天がある。稲荷大明神がある。弘法大師もあれば、不動明王もある。なんでも来いである。ここへ来れば、たいていの信心事はこと足りる。ないのはキリスト教と天理教だけである。どこにどれがあるのか、何を拝んだら、・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そして道ばたにマドンナを祭るらしい小祠はなんとなく地蔵様や馬頭観世音のような、しかしもう少し人間くさい優しみのある趣のものであった。西洋でもこんなものがあるかと思ってたのもしいような気もした。山腹から谷を見おろすと、緑の野にまっ白な道路が真・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫