・・・――その時突然桟敷の下で遊んでいた松川場主の子供がよたよたと埒の中へ這入った。それを見た笠井の娘は我れを忘れて駈け込んだ。「危ねえ」――観衆は一度に固唾を飲んだ。その時先頭にいた馬は娘の華手な着物に驚いたのか、さっときれて仁右衛門の馬の前に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・どいつもこいつも無邪気さを装って観衆の拍手を必要としているのだ。けれども、そう思う豹一にももともとそれが必要だったのだ。記念祭の夜応援団の者に撲られたことを機縁として、五月二日、五月三日、五月四日と記念祭あけの三日間、同じ円山公園の桜の木の・・・ 織田作之助 「雨」
・・・鞭は持たず、伏せをしたように頭を低めて、馬の背中にぴたりと体をつけたまま、手綱をしゃくっている騎手の服の不気味な黒と馬の胴につけた数字の1がぱっと観衆の眼にはいり、1か7か9か6かと眼を凝らした途端、はやゴール直前で白い息を吐いている先頭の・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。翌る朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・木村氏や神崎氏、または韓信などは、さすがにそんな観衆に対していやらしい色眼をつかい、「わるかったよ、あやまるよ」の露骨なスタンドプレイを演ずる事なく、堂々と、それこそ誠意おもてにあらわれる態の詫び方をしたに違いないが、しかし、それにしても、・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・しかしその巧妙な律動的なモンタージュによって観衆の心の中の奥底には一つの葛藤がだんだん発展し高調されて行くのである。また同じ映画でダンス場における踊る主人公とこれをねらう悪漢との交互的律動的モンタージュもこれと全く同様である。これは二つの画・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・のフィルムを撮って露都で公開したとき、猫の額のような稲田の小区画に割拠して働く農夫の仕事を見て観衆がふき出して笑ったという話である。それを気にして国辱と思っている人もあるようである。しかし「原大陸」の茫漠たる原野以外の地球の顔を見たことのな・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ それを外国人である我々の観衆独特の批評でいえば、こうだ。「前衛」のせりふで解らないところはごく少い。けれども「憤怒」で見物がドッと笑うソヴェト農村ユーモアは悲しやいたって少からず解らない、と。 実際の闘争において農村ピオニェー・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・すべてこれ優等児製造はかくの如き文化性から生み出されるかという印象を与える雰囲気、画面の所謂芸術写真風な印画美であるが、私たち数人の観衆はこの文化映画として紹介されているもののつめたさに対して何か人間としてのむしゃくしゃが胸底に湧くのを禁じ・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・ 場面場面は十分観衆をひきつけているらしいのに、いよいよ久作も工場へ入る度胸が据って目出度しの幕切れの拍手は、案外にまばらであった。これは明るい幕切れであり、或る意味でのハピイ・エンドなのだが、今日の観衆の生活感情のどういうものがそのハ・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
出典:青空文庫