・・・ 何さまこれは負傷したのに相違ないが、それにしても重傷か擦創かと、傷所へ手を遣ってみれば、右も左もべッとりとした血。触れば益々痛むのだが、その痛さが齲歯が痛むように間断なくキリキリと腹をむしられるようで、耳鳴がする、頭が重い。両脚に負傷・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・彼が彼女の膚に触れているとき、そこにはなんの感動もなく、いつもある白じらしい気持が消えなかった。生理的な終結はあっても、空想の満足がなかった。そのことはだんだん重苦しく彼の心にのしかかって来た。そのうちに彼は晴ればれとした往来へ出ても、自分・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・次にふわりとした暖かい空気が冷え切った顔にここちよく触れました。これはさかんにストーブがたいてあるからです。次に婦人席が目につきました。毛は肩にたれて、まっ白な花をさした少女やそのほか、なんとなく気恥ずかしくってよくは見えませんでした、ただ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・しかしここではそれには触れない。 倫理学の根本問題と倫理学史とを学ぶときわれわれは人間存在というものの精神的、理性的構造に神秘の感を抱くとともに、その社会的共同態の生活事実の人間と起源を同じくする制約性を承認せずにはいられない。それとと・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・その差異については、後で触れるが、また、花袋の「第二軍従征日記」を取って見ると、やはりそこには、戦争と攻撃を詩のようだとした讃美が見られるのである。 島崎藤村については、その渡仏中のことを除いては、いまだ、戦争を作品の中に取扱っているの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ ここに至ってわが手は彼の痛処に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭して是認した彼の眼の中には露が潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華はなばなしく明るく落ちて、その薄汚い頬被りの手拭、その下から少し洩れている額のぼう・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・れど此れと同時に多くの尊むべく敬すべく愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも事実である、而して甚だ尊敬すべき善人ならざるも、亦た甚だ嫌悪すべき悪人にもあらざる多くの小人・凡夫が、誤って時の法律に触れたるが為めに――単に一羽の鶴を殺し、・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・へ再び焼けついた腐れ縁燃え盛る噂に雪江お霜は顔見合わせ鼠繻珍の煙草入れを奥歯で噛んで畳の上敷きへ投りつけさては村様か目が足りなんだとそのあくる日の髪結いにまで当り散らし欺されて啼く月夜烏まよわぬことと触れ廻りしより村様の村はむら気のむら、三・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾が触れて、花弁の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 第三巻の後記に於て、私は井伏さんと早稲田界隈との因果関係に触れたが、その早稲田界隈に優るとも劣らぬ程のそれこそ「宿命的」と言ってもいいくらいの、縁が、井伏さんの文学と「旅」とにつながっていると言いたい気持にさえなるのである。 人間・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫