・・・の上に遅い歩みを運んで行った。常子は「順天時報」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうど鎖に繋がれた囚人のようだったと話している。が、かれこれ三十分の後、畢に鎖の断たれる時は来た。もっともそれは常子の所謂鎖の断たれる時ではない。半三郎を家庭へ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトルと中村座を見物した帰り途に、たしか珍竹林主人とか号していた曙新聞でも古顔の記者と一しょになって、日の暮から降り出した雨の中を、当時柳橋にあった生稲へ一盞を傾けに行ったのです。所がそこの二階・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
ただ仰向けに倒れなかったばかりだったそうである、松村信也氏――こう真面目に名のったのでは、この話の模様だと、御当人少々極りが悪いかも知れない。信也氏は東――新聞、学芸部の記者である。 何しろ……胸さきの苦しさに、ほとん・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
「やあ、しばらく。」 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗して席を並べた、修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。「いや、構わず……どうぞ。」・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・と挨拶された時は読売記者は呆気に取られて、暫らくは開いた口が塞がらなかったという逸事がある。 鴎外は幼時神童といわれたそうだ。虚実は知らぬが、「十ウで神童、ハタチで才子、二十以上はタダの人というお約束通り、森の子も行末はタダの人サ、」と・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に特に面会を求めたのも新聞記者であって、或人は損害の程度を訊いた。或人は保険の額を訊いた。或人は営業開始の時期を訊いた。或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・すると、それを聴きつけたのが、府庁詰の朝日新聞の記者で、さっそくそれを新聞記事にして「秋山さんいずこ。命の恩人を探す人生紙芝居」という変な見出しで書きたてましたので、私はこれは困ったことになったわいと恥しい思いをしていました。ところが、その・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・新聞記者になれるのだと喜んでいたのに、自転車であちこちの記者クラブへ原稿を取りに走るだけの芸だった。何のことはないまるで子供の使いで、社内でも、おい子供、原稿用紙だ、給仕、鉛筆削れと、はっきり給仕扱いでまるで目の廻わるほどこき扱われた。一日・・・ 織田作之助 「雨」
・・・左り側に彼が曾て雑誌の訪問記者として二三度お邪魔したことのある、実業家で、金持で、代議士の邸宅があった。「やはり先生避暑にでも行ってるのだろうが、何と云っても彼奴等はいゝ生活をしているな」彼は羨ましいような、また憎くもあるような、結局芸術と・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・から小ザッぱりした和服のほうがよさそうに思われるけれども、あいにくと二人とも一度は洋行なるものをして、二人とも横文字が読めて、一方はボルテーヤとか、ルーソーとか、一方はラファエルとかなんとか、もし新聞記者ならマコーレーをお題目としたことのあ・・・ 国木田独歩 「号外」
出典:青空文庫