・・・すると間もなく二葉亭は博士を訪うて、果して私が憶測した通りな心持を打明けて相談したので、「内田君も今来て君の心持は多分そうであろうと話した」と、坪内博士が一と言いうと直ぐ一転して「そんな事も考えたが実は猶だ決定したのではない」と打消し、そこ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・』 その次が十一月二十六日の記、『午後土河内村を訪う。堅田隧道の前を左に小径をきり坂を越ゆれば一軒の農家、山の麓にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めいたり。少年あり、藁を積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・無論大学に居た時分、一夏帰省した時も訪うた事はある。 老漢学者と新法学士との談話の模様は大概次の如くであった。「ヤア大津、帰省ったか」「ともかく法学士に成りました」「それが何だ、エ?」「内務省に出る事に決定りました、江藤・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 甥の山上武は二三日前、石井翁を訪うて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。 徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ 十一日午前七時青森に着き、田中某を訪う。この行風雅のためにもあらざれば吟哦に首をひねる事もなく、追手を避けて逃ぐるにもあらざれば駛急と足をひきずるのくるしみもなし。さればまことに弥次郎兵衛の一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本た・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・三先輩は打揃って茅屋を訪うてくれた。いずれも自分の親としてよい年輩の人々で、その中の一人は手製の東坡巾といったようなものを冠って、鼠紬の道行振を被ているという打扮だから、誰が見ても漢詩の一つも作る人である。他の二人も老人らしく似つこらしい打・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・しかし長頭丸が植通公を訪うた時、この頃何かの世間話があったかと尋ねられたのに答えて、「聚落の安芸の毛利殿の亭にて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花神代もきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人褒め申す」と答えたのにつけて、神代もきかぬと・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・しかしその日は塾の同僚を訪うよりも、足の向くままに、好きな田圃道を歩き廻ろうとした。午後に、彼は家を出た。 岩と岩の間を流れ落ちる谷川は到るところにあった。何度歩いても飽きない道を通って、赤坂裏へ出ると、青麦の畠が彼の眼に展けた。五度熟・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ ここを訪うみちみち私は、深田氏を散歩に誘い出して、一緒にお酒をたくさん呑もう悪い望や、そのほかにも二つ三つ、メフィストのささやきを準備して来た筈であったのに、このような物静かな生活に接しては、われの暴い息づかいさえはばかられ、一ひらの・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ 花を尋ねたり、墓を訪うたり、美しい夢ばかり見ていたあの頃の自分には、このイタリア人は暗い黄泉の闇に荒金を掘っている亡者か何かのように思われた。とにかく一種侮蔑の念を抑える訳に行かなかった。日露戦争の時分には何でもロシアの方に同情して日・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
出典:青空文庫