幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・わたくしは父を訪問しに来た支那人が帰りがけに船梯子を降りながら、サンパンと叫んで小舟を呼んだその声をきき、身は既に異郷にあるが如き一種言いがたい快感を覚えた事を今だに忘れ得ない。 朝の中長崎についた船はその日の夕方近くに纜を解き、次の日・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によっては閾が高いように思われた。私は少し前まで、高校で一緒にいた同窓生と、忽ちかけ離れた待遇の下に置かれるようになったので、少からず感傷的な私の心を傷つけられた。三年の間を、隅の方に小さく・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・そこで僕の家の家風全体が、一体に訪問客を悦ばなかった。特に僕の所へ来る客は厭がられた。それはたいてい垢じみた着物をきて、頭を乱髪にした地方の文学青年だった。堂々と玄関を構えてる医者の家へ、ルンペンか主義者のような風態をした男が出入するのを、・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 私はもう一度彼女を訪問する「必要」はなかった。私は一円だけ未だ残して持っていたが、その一円で再び彼女を「買う」と云うことは、私には出来ないことであった。だが、私は「たった五分間」彼女の見舞に行くのはいいだろうと考えた。何故だかも一度私・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・台所街四番地ネ氏の談によれば昨夜もツェ氏は、はりがねせい、ねずみとり氏を訪問したるがごとし、と。なお床下通り二十九番地ポ氏は、昨夜深更より今朝にかけて、ツェ氏並びにはりがねせい、ねずみとり氏の激しき争論、時に格闘の声を聞きたりと。以上を総合・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・一九四一年十一月より五ヵ月ばかり、連合軍側の戦時特派員という資格で、アフリカ、近東、ソヴェト同盟、インド、中国を訪問し、ファシズム、ナチズムに対して民主主義をまもろうとする国々のたたかいの姿を報道した。「ポーランドに生れ、フランスに眠るわが・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ 四、貨殖に汲汲たりとは真乎 漱石君の家を訪問したこともなく、またそれについて人の話を聞いたこともない。貨殖なんと云った処で、余り金持になっていそうには思われない。 五、家庭の主人としての漱石 前条の・・・ 森鴎外 「夏目漱石論」
・・・ この最初の訪問のときに漱石とどういう話をしたかはほとんど覚えていないが、しかし書斎へはいって最初に目についた漱石の姿だけは、はっきり心に残っている。漱石は座ぶとんの上にきちんとすわっていた。和服を着てすわっている漱石の姿を見たのはこれ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫