・・・ これは新しい評言ではない。 女性の作家に対して、屡々繰返された批評である。 認識の範囲の狭さ、個性の独自性の乏しさ、妥協的で easy-going であると云うような忠言は、批評の一種の共有性であろう。 或る人は、そんな事・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ バルザックが或時代の或タイプを描いたという評言を後生大事にかついでおまもりのように云っている人があるが、或タイプといってもそれは社会的活動の関係の中で立体的に描かれなければならないので、型として、内的外的活動を規定の枠内で行為させてい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・とののしって来た人が、きょう民主主義の立場に立つ特定の作家に悪評を加えようとするときには、全く、誤って理解された政治の優位性の発動による非現実的であり、非文学的でもある評言の断片か、ききづたえかを、そのまま自分の文章の中にとってよりどころと・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・スーザンは、その展覧会を契機として、いろいろな人のいろいろな評言から、自分の芸術がまだ自分のつたえたいと思うものをそれなり十分観るものにつたえるだけ完成していないことをも学んだのであった。彫刻をしてゆく過程に自分が深い深いよろこびを感じてい・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・それは頷ずけるが、教育あり、現代の社会に批判もある筈の人が、非常に不運な事情の廻り合わせで或る均衡を失い罪を犯し、獄中生活を経験した場合でさえ、その制度、内容について客観的な評言が世に与えられないのは何故であろう。自分の行為に対する引責――・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・この作者はそういう表現をも人の世の姿へうち興じての味として活かそうとしているらしいが、結局は全篇の基調がそういう作者の現実への当りかたから角度を鈍らされていて、青野氏の評言どおりねてしまったのだと思える。この「運・不運」は書き改められる、材・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ 長篇のわずか半ばで加えられたこのように横溢的な評言から、最も有効に自己をコントロールし終らせることは、創作についてなみなみならぬ鍛錬を重ねた作家にして初めてなし得るところであろう。 社会主義的リアリズムの立場に立って性格、心理を描・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
・・・そうでないとしたら、社会主義者で芸術家である秋田雨雀さんが、大劇場の桜の園を観た一九二八年に漸く、ロパーヒンは悪人じゃありませんねえ、という興味ある評言を発されるようなことがどうして起ろう。築地はそんなに下手に演じたか? 否。例えば汐見の爺・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・といい、作者はその評言の社会的な正当性を認めている。丁度その評言の真只中に全篇の終りは曲線を描いて陥りこんでしまっているのである。 残された一つの疑問「習俗記」「葉山汲子」「新しき塩」「未練」「空白」そのほかい・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・また、作者自身が、賢く第三者の評言をうけいれて、そのマイナスの意味をもつ特徴は自分が育って今も住んでいる東北地方の陰鬱な風土の影響であろうと自省しているところに、この問題を真に文学上発展させるモメントの全部があるとも考えられない。 なぜ・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
出典:青空文庫