・・・けたスコットをばあざけりしウォーズウォルスは、決して写実的に自然を観てその詩中に湖国の地誌と山川草木を説いたのではなく、ただ自然その物の表象変化を観てその真髄の美感を詠じたのであるから、もしこの詩人の詩文を引いて対照すれば、わが日本国中数え・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景板画に雪中の池を描いて之に妓を配合せしめたのも蓋偶然ではない。 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京・・・ 永井荷風 「上野」
・・・父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨の交を訂めておられたのである。 何如璋は、明治十年頃から久しい間東京に駐剳していた清国の公使であった。 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・わたくしはこれを十九世紀の西洋文学から学び得たようにも思い、また江戸時代の詩文より味い来ったもののような気もする。わたくしはたとえ西洋の都市に青春の幾年かを送った経歴がなかったとしても、わたくしの生涯はやはり今日あるが如きものとなってしまう・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・蕩子のその醜行を蔽うに詩文の美を借来らん事を欲するのも古今また相同じである。揚州十年の痴夢より一覚する時、贏ち得るものは青楼薄倖の名より他には何物もない。病床の談話はたまたま樊川の詩を言うに及んでここに尽きた。 縁側から上って来た鶏は人・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
出典:青空文庫