・・・それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり平身低頭して詫びを入れ、ほうほうの体で逃げ帰った借金取があったと、きまってあとでお辰の愚痴の相手は娘の蝶子であった。 そんな母親を蝶子はみっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・帰って申せ、わしが詫びてやる、心配には及ばぬとナ。女は夫を持つと気が小さくなるというが、娘の時のあれは困り者のほどな大気の者であったが、余程聟殿を大事にかけていると見えて、大層女らしくなり居ったナ。好いわ、それも夫婦中が細やかなからじゃ。ハ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・の露骨なスタンドプレイを演ずる事なく、堂々と、それこそ誠意おもてにあらわれる態の詫び方をしたに違いないが、しかし、それにしても、之等の美談は、私のモラルと反撥する。私は、そこに忍耐心というものは感ぜられない。忍耐とは、そんな一時的な、ドラマ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「た・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・どろぼうは、のっそり部屋へはいるとすぐに、たったいま泣き声出しておゆるし下さいと詫びたひととは全く別人のような、ばかばかしく荘重な声で、そう言った。おそろしく小さい男である。撫で肩で、それを自分でも内心、恥じているらしく、ことさらに肘を張り・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ ヴァレリイの言葉、――善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。善ほど他人を傷けるものはないのだから。 私は風邪をひいたような気持になり、背中を丸め、大股で地下道の外に出てしまいました。 四五人の記者たちが、私の後・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・ 看護婦が傍に泣いて詫びていた。 道太はやがて、兄の枕頭に行ってみた。兄は少しいらだっていたが、少し話をすると、じきに頷いてくれた。「それから私もちょっと用事ができて、きゅうにいったんかえることになりましたので」道太は話しだした・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・林は口数の少ない子だから、それだけしか言わなかったが、それはあきらかに、私のために詫びてくれてるのだということが、誰にもわかった。 それで、こんどはいくらかおどろいたような奥さんの声が訊いた。「おや、この子、茂さんのお友達?」 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 息子は金がないのを詫びて、夫婦して、大事に善ニョムさんを寝かしたのだった……が、まだ六十七の善ニョムさんの身体は、寝ていることは起きて働いていることよりも、よけい苦痛だった。 寝ていると、眼は益々冴えてくるし、手や足の関節が、ボキ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・娘の兄らしい兵隊は無言で、親爺らしい百姓が頻に詫びた。娘は俯向いてこそこそと降りた。癪に障って忌々しいが叱り飛す張合もない。災難だと諦めた。乗り合わした他の連中は頻に私に同情して、娘とその伴の図々しい間抜な態度を罵った。飛沫を受けたので、眉・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫