・・・あのおしゃれな人が、軍服のようなカーキ色の詰襟の服を着て、頭は丸坊主で、眼鏡も野暮な形のロイド眼鏡で、そうして顔色は悪く、不精鬚を生やし、ほとんど別人の感じであった。 部屋へあがって、座ぶとんに膝を折って正坐し、「私は、正気ですよ。・・・ 太宰治 「女神」
・・・――高島貞喜は、学生たちが停車場から伴ってきたが、黒い詰襟の学生服を着、ハンチングをかぶった小男は、ふとい鼻柱の、ひやけした黒い顔に、まだどっかには世なれない少年のようなあどけなさがあった。「フーン、これがボルか」 会場の楽屋で、菜・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 夜九時すぎから十時の間に、市電や省線にのりこんで来る詰襟の少年たちの心の底に求められているものは、何と云っても自分たちが偶然生れあわせた境遇に抗して、人生の可能を自分たちの現実によりひろげよりゆたかに獲得して行きたい熱望であろうと思う・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・でっぷり太った角がりでチョビ髭を生やした河野が詰襟服姿で起立し、要求書の両端を押えて山下局長へ向ってひろげている場面である。重い空気がマグネシュームをたいてとられた写真の面に感じられるが、その雰囲気は率直に殺気立つものとは違った、寧ろ大変大・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・ すると、俥夫達の背後に立ち、頻りにYを観察していた大兵の青帽をかぶった詰襟の案内人が、「上海へおいでですか」と訊ねた。我々は苦笑した。長崎というと、私共は古風な港町を想像し、古びながら活溌に整った市街の玄関を控えていると思って・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・いつの間にか背後の生垣の処に植木屋に混って詰襟を着た頑丈な男が蹲んで朝日をふかし始めた。石の門柱を立てる、土台の凝固土に菰がかぶせてある。そこから、ぶらりと背広を着た四十がらみの男が入って来た。「やあ」 手塚は立ち上りそうにしたのを・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・そこには詰襟のフロックコートへ銀モールをつけたような制服の守衛とくすんだ色の上被りをつけた四十前後の女のひとが二三人いて、婦人傍聴人は一人一人その女のひとがまたすっかり帯の下へまで手を入れて調べるのであった。財布もここでは出した。外からさわ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・彼は、みのえの方へ黒い詰襟服のカフスをのばし、「それ、お呉れ」と云った。驚いて、みのえは花束を後にかくした。「いやかい?――誰にやるの」「いいひと!」 みのえは憤ったように本気な力を入れてそれを云い、さっさと自分の道を歩・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫