・・・頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた大きな雅な団扇で緩く払いながら、逼らぬ気味合で眼のまわりに皺を湛えつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・誰が話すことも、それは誰にとってもみんな自分のことだった。山崎のお母さんは林檎や蜜柑を皿に一杯盛って出した。母が何時か特高室で会ったことのある子供を負んぶしていたおかみさんが、その蜜柑の一つを太い無骨な指でむいていたが、独言のように、「中に・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「二人育てるも、三人育てるも、世話する身には同じことだ。」 と、私も考え直した。長いこと親戚のほうに預けてあった娘が学齢に達するほど成人して、また親のふところに帰って来たということは、私に取っての新しいよろこびでもあった。そのころの・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしい捌けた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・そのほかに話すことがないじゃあるまいし。」いつもに似ずきびしくそう答えてから、急に持ちまえの甘ったれた口調にかえるのであった。「私はね、このあいだから手相をやっていますよ。ほら、太陽線が私のてのひらに現われて来ています。ほら。ね、ね。運勢が・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・とうとう誰彼となく君僕で話す。先方がそれに応ずると否とは、勝手である。竜騎兵中尉はこの返事をして間もなく、「そんなら」と云って、別れそうにした。「どこへ行く。」「内へ帰る。書きものがある。」「書きもの。」旆騎兵中尉は、「気が違っ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・「重大な事柄を話そうとする人にふさわしいように、ゆっくり、そして一語一句をはっきり句切って話す。しかし少しも気取ったようなところはない。謙遜で、引きしまっていて、そして敏感である。ただ話が佳境に入って来ると多少の身振りを交じえる。両手を・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・私ア恁う恁うしたもので、これこれで出向いて来ましたって云うことを話すと、直に夫々掛りの人に通じて、忰の死骸の据ってるところへ案内される。死骸はもう棺のなかへ収まって、花も備えてあれば、盛物もしてある。ちゃんと番人までつけて、線香を絶やさない・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「ああ、話すことだってできるよ」 私はとても不思議な気がして、林の顔を穴があくほどみた。そしてこの子が何でもない顔をしているんで、いよいよ不思議だった。 しかし林が英語が上手なのは真実だった。六年のとき、私達の学校を代表して、私・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・然し、私には、如何にも強そうなその体格と、肩を怒らして大声に話す漢語交りの物云いとで、立派な大人のように思われた。「先生、何の御用で御座います。」「怪しからん、庭に狐が居る、乃公が弓を引いた響に、崖の熊笹の中から驚いて飛出した。あの・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫