・・・……………………………………………… 辻町は夕立を懐うごとく、しばらく息を沈めたが、やがて、ちょっと語調をかえて云った。「お米坊、そんな、こんな、お母さんに聞いていたのかね。」「ええ、お嫁に行ってから、あと……」・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 酔った方の男はひどく相手の言ったことに感心したような語調で残っていたビールを一息に飲んでしまった。「そうだ。それであなたもなかなか窓の大家だ。いや、僕はね、実際窓というものが好きで堪らないんですよ。自分のいるところからいつも人の窓・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 母はややたたみかけるような私の語調に困ったような眼をした。「どんなふうにって、そうだな、たとえば遠くの人を望遠鏡で見るでしょう。すると遠くでわからなかったその人の身体つきや表情が見えて、その人がいまどんなことを考えているかどんな感・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・』と首を出したのは江藤という画家である、時田よりは四つ五つ年下の、これもどこか変物らしい顔つき、語調と体度とが時田よりも快活らしいばかり、共に青山御家人の息子で小供の時から親の代からの朋輩同士である。 時田は朱筆を投げやって仰向けになり・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 黄色い歯を見せて老人は何か云った。語調が哀れで悄然としていた。唇が動くにつれて、鰌髭が上ったり下ったりした。返事は露西亜語で云われたが、彼には意味がとれなかった。「どうして、こんなところへやって来たんだ?」 彼は、また露西亜語・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ その語調は知らず/\哀願するようになってきた。 老人は若者達に何か云った。すると若者達は、二人の防寒服から、軍服、襦袢、袴下、靴、靴下までもぬがしにかかった。 ……二人は雪の中で素裸体にされて立たせられた。二人は、自分達が、も・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・ばあさんは皮肉に云ったが昔のように毒々しい語調はなかった。「あの時は、こっちに鍬がいろうとは思わなんだせにやったんじゃ。」 いつのまにか彼は近くで小さい鍬を買ってきて、初めて芽を吹きかけた雑草を抜いて土を掘り返した。「こっちの鍬・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・驚くべき処世の修行鍛錬を積んだ者で無くては出ぬ語調だった。女は其の調子に惹かれて、それではまずいので、とは云兼ぬるという自意識に強く圧されていたが、思わず知らず「ハ、ハイ」と答えると同時に、忍び音では有るが激しく泣出して終った。苦悩・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ と国訛りのある語調で言って、そこへ挨拶に出たのは相川の母親である。「どうも私の為に会社を御休み下すっては御気の毒ですなあ」 と原は相川の妻の方へ向いて言った。「なんの、貴方、稀にいらしって下すったんですもの」と相川の妻は如・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ こんどは、ちょっと鋭い語調でした。同時に、玄関のあく音がして、「大谷さん! いらっしゃるんでしょう?」 と、はっきり怒っている声で言うのが聞えました。 夫は、その時やっと玄関に出た様子で、「なんだい」 と、ひどくお・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫