・・・が、机に向って見ても、受験の準備は云うまでもなく、小説を読む気さえ起らなかった。机の前には格子窓がある、――その窓から外を見ると、向うの玩具問屋の前に、半天着の男が自転車のタイアへ、ポンプの空気を押しこんでいた。何だかそれが洋一には、気忙し・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・而して又連絡もなく、お前っちは字を読むだろう。と云って私の返事には頓着なく、ふむ読む、明盲の眼じゃ無えと思った。乙う小ましゃっくれてけっからあ。何をして居た、旧来は。 と厳重な調子で開き直って来た。私は、ヴォ・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・こないだ友人とこへ行ったら、やっぱり歌を作るとか読むとかいう姉さんがいてね。君の事を話してやったら、「あの歌人はあなたのお友達なんですか」って喫驚していたよ。おれはそんなに俗人に見えるのかな。A 「歌人」は可かったね。B 首をすくめ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 甲冑堂の婦人像のあわれに絵の具のあせたるが、遥けき大空の雲に映りて、虹より鮮明に、優しく読むものの目に映りて、その人あたかも活けるがごとし。われらこの烈しき大都会の色彩を視むるもの、奥州辺の物語を読み、その地の婦人を想像するに、大・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・言ってやった金が来たかと、急いで開いて見たが、為替も何もはいっていないので、文句は読む気にもならなかった。それをうッちゃるように投げ出して、床を出た。 楊枝をくわえて、下に行くと、家のおかみさんが流しもとで何か洗っていた手をやすめて、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・同じ操觚に携わるものは涙なしには読む事が出来ない。ちょうどこの百七十七回の中途で文字がシドロモドロとなって何としても自ら書く事が出来なくなったという原稿は、現に早稲田大学の図書館に遺存してこの文豪の悲痛な消息を物語っておる。扇谷定正が水軍全・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・わちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はドレだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。今の人が読むのみならず・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・只単に旨いと思って読むものと、心の底から感動させられるものとは自らそこに非常な相違があると思う。 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるよう・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・「なあに、しょっちゅう来るのでなしに、お上さんが親方へ見せずに独りで読むのが?」「どうだか、俺はそんなことは気をつけてねえから……や! お上さん」「え」と若衆も驚いて振り返ると、お上さんのお光はいつの間にか帰って背後に立っている・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫