・・・名前はコンスタンチェとして、その下に書いた苗字を読める位に消してある。 第二 前回は、「その下に書いた苗字を読める位に消してある。」というところ迄でした。その一句に、匂わせて在る心理の微妙を、私は、くどくどと説明したく・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ おたまじゃくしさえ読めるかどうか。馬場の家では、あいつに泣かされているのですよ。いったい音楽学校にはいっているのかどうか、それさえはっきりしていないのです。むかしはねえ、あれで小説家になろうと思って勉強したこともあるんですよ。それがあんま・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・羽左、阪妻の活躍は、見た眼にも綺麗で、まあ新講談と思えば、講談の奇想天外にはまた捨てがたいところもあるのだから、楽しく読めることもあるけれど、あの、深刻そうな、人間味を持たせるとかいって、楠木正成が、むやみ矢鱈に、淋しい、と言ったり、御前会・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・英語はロオマ字をやっと読めるくらいになって、いつのまにか、止めてしまった。手紙は、やはり下手であった。書きたがらなかった。私が下書を作ってやった。あねご気取りが好きなようであった。私が警察に連れて行かれても、そんなに取乱すような事は無かった・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・正面の黒板には、次のような文字が乱雑に、秩序無く書き散らされ、ぐいと消したところなどもあるが、だいたい読める。授業中に教師野中が書いて、そのままになっているという気持。その文字とは、「四等国。北海道、本州、四国、九州。四島国・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ これは先日、先生から読み方を教えられたばかりなので、私には何の苦も無く読めるのである。「流石にいい句ですね。」私はまた下手なお追従を言った。「筆蹟にも気品があります。」「何を言っているんだ。君はこないだ、贋物じゃないかなんて言・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・象形文字であろうが、速記記号であろうが、ともかくも読める記号文字で、粘土板でもパピラスでも「記録」されたものでなければおそらくそれを文学とは名づけることができないであろう。つまり文学というものも一つの「実証的な存在」である。甲某が死ぬ前に考・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・縁側で新聞が読めるか読めないかというくらいの明るさの時刻が開花時で、開き始めから開き終りまでの時間の長さは五分と十分の間にある。つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである。実に驚くべき現象である。・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・縁側で新聞が読めるか読めないかというくらいの明るさの時刻が開花時で、開き始めから開き終わりまでの時間の長さは五分と十分の間にある。つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである。実に驚くべき現象である。・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・そう考えてみるとドイツ人の論文の中に、少なくもまれには、愚にもつかない空虚な考えをいかめしい数式で武装したようなのもある、そのわけが読めるような気がした。 しかしなんといっても、あらゆる言語のうちで、数学の言語のように、一度つかまえた糸・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
出典:青空文庫