・・・まず問いを同じくする書物こそ読者にとって良書なのである。かような良書の中で、自分の問いに、深く、強く、また行きわたって精細にこたえてくれる書物があるならば、それは愛読書となり、指導書となるであろう。かような愛読書ないし指導書は一生涯中数える・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・してもお染・久松を描きましても、それをかなり隔たった時にして書きまして、すべてに、これは過ぎた昔の事であるという過去と名のついた薄い白いレースか、薄青い紗のきれのようなものを被けて置いて、それを通して読者に種々なる相を示して居るのでございま・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・先生曰く、事を紀して読者をして見るが如くならしむるは至難の業である。若し能く記事の文に長ずれば往くとして可ならざるなしであると。蓋し岡松先生の教に従ったのである。今先生の記事文の一節を掲げよう。 一日ルソー歩してワンセンヌに赴く。偶・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・ 透谷君がよく引っ越して歩いた事は、已に私は話した事があるから、知っている読者もあるであろうと思うが、一時高輪の東禅寺の境内を借りて住んでいた事があって、彼処で娘のふさ子さんが生れた。彼処に一人食客がいた事は、戸川君も一度書いた事がある・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 次兄は、この創刊号には、何も発表なさらなかったようですが、この兄は、谷崎潤一郎の初期からの愛読者でありました。それから、また、吉井勇の人柄を、とても好いていました。次兄は、酒にも強く、親分気質の豪快な心を持っていて、けれども、決して酒・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・該博な批評家の評註は実際文化史思想史の一片として学問的の価値があるが、そうでない場合には批評される作家も、読者も、従って批評者も結局迷惑する場合が多いように思われる。そういう批評家のために一人の作家が色々互いに矛盾したイズムの代表者となって・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・わたくしはもし当時の遊記や日誌を失わずに持っていたならば、読者の倦むをも顧ずこれを採録せずにはいなかったであろう。 わたくしは遊廓をめぐる附近の町の光景を説いて、今余すところは南側の浅草の方面ばかりとなった。吉原から浅草に至る通路の重な・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・大いに世の佶屈難句なる者と科を異にし、読者をして覚えず快を称さしむ。君齢わずかに二十四、五。しかるに学殖の富衍なる、老師宿儒もいまだ及ぶに易からざるところのものあり。まことに畏敬すべきなり。およそ人の文辞に序する者、心誠これを善め、また必ず・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処にかこれに対する悪感とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌え出づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今の一部の小説が人に嫌・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
出典:青空文庫