・・・ 恒藤は又論客なりき。――その前にもう一つ書きたき事は恒藤も詩を作れる事なり。当時僕等のクラスには詩人歌人少からず。「げに天才の心こそカメレオンにも似たりけれ」と歌えるものは当時の久米正雄なり。「教室の机によれば何となく怒鳴つて見たい心・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・緑雨の通人的観察もまたしばしば人生の一角に触れているので、シミッ垂れな貧乏臭いプロの論客が鼻を衝く今日緑雨のような小唄で人生を論ずるものも一人ぐらいはあってもイイような気がする。が、こう世の中が世智辛くなっては緑雨のような人物はモウ出まいと・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・危険と目指れた数十名の志士論客は三日の間に帝都を去るべく厳命された。明治の酷吏伝の第一頁を飾るべき時の警視総監三島通庸は遺憾なく鉄腕を発揮して蟻の這う隙間もないまでに厳戒し、帝都の志士論客を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 硯友社の文学的傾向に対して、作家は昔の戯作者に非ずとして、人生的な教養の必要を強調したのは、当時の内田魯庵その他所謂人生派の論客たちであった。 自然主義文学の動きは、硯友社的美文で造り上げられた現実を文学から追放して、もっとむき出・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・このロマン派の青年論客が、曩日文学の芸術性を擁護して芸術至上の論策を行っていたことと思いあわせれば、純文学に於ける自我の喪失が如何に急速なテムポでその精神を文学以外のより力強い何物かに託さなければならなかったかという経緯がまざまざと窺われる・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・さらに特徴的なのは、恋愛について物をいい、書きしている論客の大部分がほとんど中年の人々であることおよび、それらの恋愛論と読者との関係では、それぞれの論が読まれはしていても現実に若い人々の生活における行動の規準となるものをもっていないことなど・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
出典:青空文庫