・・・「或日僕がその女の家へ行きますと、両親は不在で唯だ女中とその少女と妹の十二になるのと三人ぎりでした。すると少女は身体の具合が少し悪いと言って鬱いで、奥の間に独、つくねんと座っていましたが、低い声で唱歌をやっているのを僕は縁辺に腰をかけた・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 日蓮はこの論旨を、いちいち諸経を引いて論証しつつ、清澄山の南面堂で、師僧、地頭、両親、法友ならびに大衆の面前で憶するところなく闡説し、「念仏無間。禅天魔。真言亡国。律国賊。既成の諸宗はことごとく堕地獄の因縁である」と宣言した。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 自動車に乗ると清三は両親にそう云った。しかし、彼等は、下に置くと盗まれるものゝように手離さなかった。「わたし持ちますわ。」嫁はそれを見て手を出した。「いゝえ、大事ござんせん。」おしかは殊更叮寧な言葉を使った。「おくたびれで・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・堪らなく痛かったが両親に云えば叱られるから、人前だけは跛も曳かずに痩我慢して痛さを耐えてひた隠しに隠して居ましたが、雑巾掛けのときになって前へ屈んで膝を突くのが痛くて痛くてほとほと閉口しました。然し終に其の為めに叱られるには至りませんでした・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・まだ小さな時分に、両親は北村君を祖父母の手に託して置いて、東京に出た。北村君は十一の年までは小田原にいて、非常に厳格な祖父の教育の下に、成長した。祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・今は唖の末娘が両親の深い心がかりとなっています。世の中の人は、皆、彼女が物を云わないので、ちっとも物に感じない、とでも思っているようでした。彼女の行末のことだの、心配だのを、彼女の目の前で平気に論判します。スバーは、極く小さい子供の時から、・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。 夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやたらに顔の汗を拭き、「めし食って大汗かく・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・伯爵家の両親がこの成行に満足して、計略の当ったのを喜ぶことは一通りでない。実に可哀い子には旅をさせろである。 小さい銀行員はまた銀行に通い始めた。経験が出来たので、段々上の役に進む。妻を迎える。その家の食堂には、漫遊の記念品が飾ってある・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ものを云う事を覚えるのが普通より遅く、そのために両親が心配したくらいで、大きくなってもやはり口重であった。八、九歳頃の彼はむしろ控え目で、あまり人好きのしない、独りぼっちの仲間外れの観があった。ただその頃から真と正義に対する極端な偏執が目に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・「え、あの人両親の前では、何にも言えないんです」「しかし、もうそうなっちゃ、どちらもおもしろくなかろう。動機がお互いに不純だから、とうていうまくゆくまい」「さあ、そうでしょうかね」姉は太息をついていた。「ふみ江さんも人の言う・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫