・・・上野の山に砲声をききながら、福沢諭吉は塾の講堂を閉さずに、経済学の講義をしつづけた。このことには、学生をいかに見るかということについての信念があらわれていると思う。そういう存在として見られ育てられた学生たちは、家庭にあってやはり一種の若き世・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
・・・会場である共立講堂へニュースのライトが輝いたらしく、派手な空気は、わたしをおどろかした。婦人民主クラブの成立に関係をもった幾人かの婦人が話をした。加藤シズエ夫人もその一人だった。もうそのころ立候補がきまっていた夫人は、婦人と政治的自覚につい・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・ 工場クラブ、労働者クラブは、大なり小なり講堂をもっている。講堂の壁には、絵が欲しいではないか。工場委員会の文化部は会議を開く。「どうだね、一つここんところの壁へ何かかけた方がいいと思わないか?」「異議なし」「町ソヴェトの倉・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・十一月二十日に朝日講堂で神近さんの婦人文芸主催の文芸講演会では私の話がよろこばれ、私としても、あんなに身をいれて、わかりやすく、文学といっても一般化して云うことは出来ぬこと、文学を作るものの社会生活が反映して来ることを様々の作品の例をとって・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この講堂を、ここに来ていられる方の誰が所有したいと思っているでしょう。いい病院がほしいということ、いい図書館がほしい、いい託児所がほしい、というわたしたちの希望は、それを自分の所有として、私有の財産として登記したい心もちとはちがいます。社会・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・ 目白の女子大学には、まだ成瀬校長が存命であって、私が英文予科の一年に入ったときは、ゴチックまがいの講堂で一人一人前へ出て画帳のようなものへ毛筆で何か文句を書かされたりした。私は大変本気な顔つきで、求めよ、さらば与へられん、という字を書・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・戦災者や引揚者が住むに家なく警察の講堂に検束される形でやっと雨露をしのぐ有様が一方にあるのに。 第三は、インテリゲンチャの間から野間宏、椎名麟三、中村真一郎氏その他の作家が注目すべき創作活動を行ったこと、勤労大衆の文化的活動がさかんにな・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・ あんまり大きくない講堂で、円柱が立ちならんでいる舞台の奥にひろい演壇がある。レーニンの立像がある。赤いプラカートがはられている。そこへ、革命十周年記念祭のお客で日本から来ていた米川正夫、秋田雨雀をはじめ、自分も並んで、順ぐりに短い話を・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・ 木枯の吹く午後おそく、ひろ子は、前後左右ぎっしり職場の若い婦人たちで埋った講堂で、ニュース映画を観ていた。それは「君たちは話すことが出来る」と云う題であった。十月十日に、同志たちが解放される前後を中心として、治安維持法と、その非道な所・・・ 宮本百合子 「風知草」
三年前の五月、学生祭の日、この講堂は、甦った青春のエネルギーにみちあふれた数千の男女学生によって埋められました。 三年のちのこんにち、ふたたびここは、数千の男女学生によってみたされています。きょうここに参集した、われら・・・ 宮本百合子 「若き僚友に」
出典:青空文庫