・・・駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固した。――この行列は、監物の日頃不意に備える手配が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。 それから七・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・もう警固のいる人間なんぞは来ないのである。ハイド・パアクのあっちこっちの門から子供連の夫婦――亭主は乳母車を押し妻は一人の子の手を引いていると云うような世帯じみた一団がぞろぞろ入って来る。警官音楽隊が音楽堂の中で軍楽を奏し始めた。肩の縫目の・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・酒井家からは目附、下目附、足軽小頭に足軽を添えて、乗物に乗った二人と徒歩の文吉とを警固した。三人が筒井政憲の直の取調を受けて下がったのは戌の下刻であった。 十六日には筒井から再度の呼出が来た。酉の下刻に与力仁杉八右衛門の取調を受けて、口・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 同心らが三道具を突き立てて、いかめしく警固している庭に、拷問に用いる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋太郎兵衛の女房と五人の子供とを連れて、町年寄五人が来た。 尋問は女房から始められた。しかし名を問われ、年を問われた時に、かつ・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫