・・・ 初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番隅の方へひっこんでいた僕の前へ、紺絣の着物を着た、大柄な、色の白い、若い人が来て坐った。眼鏡はその頃はま・・・ 芥川竜之介 「豊島与志雄氏の事」
・・・ 万亭応賀の作、豊国画。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫の挿画のうち、摩耶夫人の御ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾、錦、また珊瑚をさえ鏤めて肉置の押絵にした。……・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ たとえば豊国などでも、もう線の節奏が乱れ不必要な複雑さがさらにそれを破壊している。試みに豊国の酒樽を踏み台にして桜の枝につかまった女と、これによく似た春信の傘をさして風に吹かれる女とを比較してみればすべてが明瞭になりはしないか。後者に・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・ この角の向側に牛肉屋の豊国がある。学生の頃の最大のラキジュリーは豊国の牛鍋であった。色々の集会もここであった。天文関係の人が寄ったときにその頃発見された新星ノヴァ・ペルセイの話が出た。新星と豊国がその時から結合した。磁力測量に使う磁石・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・襖を越した次の座敷には薄暗い上にも更に薄暗い床の間に、極彩色の豊国の女姿が、石州流の生花のかげから、過ぎた時代の風俗を見せている。片隅には「命」という字を傘の形のように繋いだ赤い友禅の蒲団をかけた置炬燵。その後には二枚折の屏風に、今は大方故・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・うす黒い柳の幹に、しみのある哥麿の絵や豊国の、若い私達の心をそそる様な曲線の絵が女達の袂のゆれに動く空気にふるえて居る――その絵のにせものなんかを見る余裕もないほどに私の心にせまって来る。目のとどかないほど高い建物のわきに、――まぼしい電燈・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・京の舞子の紅の振、玉虫色の紅の思われる写真は白粉の香のただよいそうに一っぱいちらばって壁に豊まろの女、豊国の女房はそのなめらかな線を思いきりあらわしていっぱいはってある。すすけた天井からは、浅草提灯が二つ、新橋何とかとそめぬいた水色の手拭ま・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫