・・・女が勇之助を抱き上げて、しばらく泣き声を堪えていた時には、豪放濶達な和尚の眼にも、いつか微笑を伴った涙が、睫毛の下に輝いていました。「その後の事は云わずとも、大抵御察しがつくでしょう。勇之助は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。女は・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・それからまた一人を豪放な男にすれば、一人を繊弱な男にするのにもやはり微笑まずにはいられません。現にK君やS君は二人とも肥ってはいないのです。のみならず二人とも傷き易い神経を持って生まれているのです。が、K君はS君のように容易に弱みを見せませ・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿岳の一家及び環境を考うるのは明治の文化史上頗る興味がある。 加うるに椿岳の生涯は江戸の末李より明・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
豪放かつ不逞な棋風と、不死身にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後の衰弱はげしく、紙のように蒼白な顔色で、薬瓶を携えて盤にのぞむといった状態では、すでに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・しかし、やがて豪放な響きが寿子のヴァイオリンから流れ出すと、彼等の表情は一斉に緊張した。彼等には今自分たちの前で「ラフォリア」を弾いている人間が、お河童の十三歳の少女であるとは、もはや信じきれなかった。 コンクールの成績が発表されると、・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・いつのまにやら豪放な風格をさえ習得していた。ちっとも悪びれずに言うその態度は、かえって男らしく、たのもしく見えた。 私たちはやがて、そろって銭湯に出かけた。よいお天気だった。大隅君は青空を見上げて、「しかし、東京は、のんきだな。」・・・ 太宰治 「佳日」
・・・また配給の三合の焼酎に、薬缶一ぱいの番茶を加え、その褐色の液を小さいグラスに注いで飲んで、このウイスキイには茶柱が立っている、愉快だ、などと虚栄の負け惜しみを言って、豪放に笑ってみせるが、傍の女房はニコリともしないので、いっそうみじめな風景・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・ そうしてお酒を一本飲み、その次はビイル、それからまたお酒という具合いに、交る交る飲み、私はその豪放な飲みっぷりにおそれをなし、私だけは小さい盃でちびちび飲みながら、やがてそのひとの、「国を出る時や玉の肌、いまじゃ槍傷刀傷。」とかいう馬・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・一方は下賤から身を起して、人品あがらず、それこそ猿面の痩せた小男で、学問も何も無くて、そのくせ豪放絢爛たる建築美術を興して桃山時代の栄華を現出させた人だが、一方はかなり裕福の家から出て、かっぷくも堂々たる美丈夫で、学問も充分、そのひとが草の・・・ 太宰治 「庭」
・・・青年の客気に任せて豪放不羈、何の顧慮する所もなく振舞うた。その結果、半途にして学校を退くようになった。当時思うよう、学問は必ずしも独学にて成し遂げられないことはあるまい、むしろ学校の羈絆を脱して自由に読書するに如くはないと。終日家居して読書・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
出典:青空文庫