・・・「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……貴下が今日に至るまで、何等断乎たる処置に出でられざるは……されば夫人は旧日の情夫と共に、日夜……日本人にして且珈琲店の給仕女たりし房子夫人が、……支那人たる貴下のために、万斛の同情無・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・しかも世間は、一歩を進めて、私の妻の貞操をさえ疑いつつあるのでございます。―― 私は感情の激昂に駆られて、思わず筆を岐路に入れたようでございます。 さて、私はその夜以来、一種の不安に襲われはじめました。それは前に掲げました実例通り、・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 諸君、私は謹んで、これなる令嬢の淑徳と貞操を保証いたします。……令嬢は未だかつて一度も私ごときものに、ただ姿さへ御見せなすった、いや、むしろ見られた事さえお有んなさらない。 東京でも、上野でも、途中でも、日本国において、私がこの令・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・……事実なんです。貞操の徴と、女の生命とを預けるんだ。――(何とかじゃ築地へ帰――何の事だかわかりませんがね、そういって番頭を威かせ、と言いつかった通り、私が使に行ったんです。冷汗を流して、談判の結果が三分、科学的に数理で顕せば、七十と五銭・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・どうせ、貞操などをかれこれ言うべきものでないのはもちろんのことだが、青木と田島とが出来ているのに僕を受け、また僕と青木とがあるのに田島を棄てないなどと考えて来ると、ひいき目があるだけに、僕は旅芸者の腑甲斐なさをつくづく思いやったのである。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 沼南夫人のジャラクラした姿態や極彩色の化粧を一度でも見た人は貞操が足駄を穿いて玉乗をするよりも危なッかしいのを誰でも感ずるだろう。が、世界の美人を一人で背負って立ったツモリの美貌自慢の夫人が択りに択って面胞だらけの不男のYを対手に恋の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そういう道学的小説観は今日ではもはや問題にならないが、為永春水輩でさえが貞操や家庭の団欒の教師を保護色とした時代に、馬琴ともあるものがただの浮浪生活を描いたのでは少なくも愛読者たる士君子に対して申訳が立たないから、勲功記を加えて以て完璧たら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ この男性にあらわれる生活精力上、審美上、優生学上の天然の意志については、婦人は簡単に獣慾とか、不貞操とか考えたのでは実相にあたらない。したがってただそれだけで、夫の人格を評価して、夫婦生活にひざまずいたりするのは浅慮である。 天然・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・「君たちの体を……金で……そうだろう?」龍介もそう言いながら赤くなった。「お客さんだもの……」 女は単純に答えた。龍介はちょっとつまった。「貞操を金で買うんだよ……」「そんなこと……」「へえそんなこと……」彼もちょっ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ 悪魔だ! 色魔だ! 処女をかえせ! 貞操蹂躙! 損害賠償! などと実に興覚めな事を口走り、その頃は私も一生懸命に勉強していい詩を書きたいと念じていた矢先で、謂わば青雲の志をほのかながら胸に抱いていたのでございますから、たとい半狂乱の譫言に・・・ 太宰治 「男女同権」
出典:青空文庫