・・・生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人の貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんも、あきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人の女性が、労働力の最後の残渣まで売り尽して、愈々最後に売るべからざる貞操まで売って食いつないで来たのだろう。 彼女は、人を生かすために、人を殺さねば出来ない六神丸のように、又一人も残ら・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・孝婦伝など見れば、何々女は貞操無比、夫の悪疾を看護して何十年一日の如し云々とて称賛したるもの多し。先生の如きも必ず称賛者の一人たるは疑を容れず。左れば悪疾の妻は会釈なく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看護せしめんとするか。ます/\解す・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・男子の貞操を守っていない夫に対して、復讐がしてやりたいと云う心持が、はっきり筆に書いてはないが、文句の端々に曝露している。それに受身になって運命に左右せられていないで、何か閲歴がしてみたいと云う女の気質の反抗が見えている。要するにどの女でも・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あらゆるものを投げ出したものに貞操なんか何だ? そして石川という共働者との場合には逃げ出した彼女は、「もっともっと自由な女性を自分の中に自覚していた、たとえ肉体は腐ってもよかった。革命を裏切らず、卑怯者にならずに自分を押しすすめてゆく途中で・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・それと一緒に、日頃の紋切型の教育が教えこんでいる貞操という考えの混乱もおこって、彼女は啜泣きながらお祖母さんの手にすがって、「ねお祖母さん、じゃ人は一生に二度人を愛したり結婚したり出来るものなの? おお! では貞操っていうのは、どういうもの・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ よく貞操のことで男が道楽するなら女だって――というようなことを聞きますが、私はもうそんなことは下の下だと思います。それは私にしてもやきもちもやけば、こっちの気心も知らないで――と腹の立つ事もありましょうけど、道徳の根本問題は何も人・・・ 宮本百合子 「男が斯うだから女も……は間違い」
・・・ また一方から考えると、女は特別な貞操観を強いられることによって、その芸術が阻止されることになるのです。それは男性なれば極端な性欲或いは愛の葛藤も書け、そしてそれが批判される場合も、女性によって書かれたもの程つまらない好奇心を起させます・・・ 宮本百合子 「今日の女流作家と時代との交渉を論ず」
・・・ 妻の道義は、貞操に関することばかりではない。母としての責任は、くつしたのつくろいだけのことではない。〔一九四八年十一月〕 宮本百合子 「妻の道義」
私たちが、或るひとつの言葉からうける感じは、実に微妙、複雑なものだと、びっくりする。たとえばここに貞操について、という表題がある。これを見たとき、私たちの心に直感されたのは何だろう。貞操というもののたしかな価値の感じだろう・・・ 宮本百合子 「貞操について」
出典:青空文庫