・・・が、彼は悪感を冒しても、やはり日毎に荷を負うて、商に出る事を止めなかった。甚太夫は喜三郎の顔を見ると、必ず求馬のけなげさを語って、この主思いの若党の眼に涙を催させるのが常であった。しかし彼等は二人とも、病さえ静に養うに堪えない求馬の寂しさに・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・が、呪を負うようになった原因については、大体どの記録も変りはない。彼は、ゴルゴタへひかれて行くクリストが、彼の家の戸口に立止って、暫く息を入れようとした時、無情にも罵詈を浴せかけた上で、散々打擲を加えさえした。その時負うたのが、「行けと云う・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・中には握飯を貰いて、ニタニタと打喜び、材木を負うて麓近くまで運び出すなどいうがあり。だらしのなき脊高にあらずや。そのかわり、遠野の里の彼のごとく、婦にこだわるものは余り多からず。折角の巨人、いたずらに、だだあ、がんまの娘を狙うて、鼻の下の長・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・のある、すぐに手を立てたように石坂がまた急になる、平面な処で、銀杏の葉はまだ浅し、樅、榎の梢は遠し、楯に取るべき蔭もなしに、崕の溝端に真俯向けになって、生れてはじめて、許されない禁断の果を、相馬の名に負う、轡をガリリと頬張る思いで、馬の口に・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 生活の革命……八人の児女を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。 残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。汝は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・政治家肌がこういう傾向になったのもまた間接に伊井公侯の文明尊重に負うているので、当時の政界の領袖は朝野を通じて皆文芸的理解に富んでいた。庄屋様上りの百姓政治家は帝都の中央では対手にされなかった。 由来革命の鍵はイツデモ門外漢の手に握られ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・それでドウも二宮金次郎先生には私は現に負うところが実に多い。二宮金次郎氏の事業はあまり日本にひろまってはおらぬ。それで彼のなした事業はことごとくこれを纏めてみましたならば、二十ヵ村か三十ヵ村の人民を救っただけに止まっていると考えます。しかし・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ しかし、このことは、一般が冷淡なる程、しかく差迫っていない問題であろうか、すでに、社会上の役割を終った老人等が、彼等の老後、貧困に陥り、衣食に窮するに至るとせば、当然、その責をこの社会が負うことを至当とするからである。これについては、・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・知識というものは、時に虚偽を本とする社会をいかに美しく見せるかという場合に必要であろうけれど人間の良心は、知識によって証明もされなければ、また負うところもないのである。そして、純情のみが、私達の求める希望の社会を造るのであります。 知識・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・スタンブールから此ルシチウクまで長い辛い行軍をして来て、我軍の攻撃に遭って防戦したのであろうが、味方は名に負う猪武者、英吉利仕込のパテント付のピーボヂーにもマルチニーにも怯ともせず、前へ前へと進むから、始て怖気付いて遁げようとするところを、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫