隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・とか「始て漏剋を用う」とか貯水池を築いて「水城」と名づけたとか、「指南車」「水みずばかり」のような器械の献上を受けたり、「燃ゆる土、燃ゆる水」の標本の進達があったりしたようなことが、このみ代の政治とどんな交渉があったか無かったか、それはわか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・とあるのは、現在でも各地方の沢の下端によくあるような貯水池を連想させる。熔岩流がそれを目がけて沢に沿うておりて来るのは、あたかも大蛇が酒甕をねらって来るようにも見られるであろう。 八十神が大穴牟遅の神を欺いて、赤猪だと言ってまっかに焼け・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・ 水道の貯水池の所は眺望がいい。暑そうな霞の奥に見える土地がジョホールだという。大きな枝を張った木陰のベンチに人相の悪い雑種のマライ人が三人何かコソコソ話し合っていた。 市場へ行く。玉ねぎや馬鈴薯に交じって椰子の実やじゃぼん、それか・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されている・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・小豆色のセーターを着た助手が、水道のホーズから村山貯水池の水を惜気もなく注いで、寝台自動車に冷たい行水を使わせている。流れた水が、灰色のアスファルトの道路に黒くくっきりと雲の絵をかいている。 またある日。 窓の下の森田屋の前で、運転・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ 飲料の貯水池が砲台の奥にあって、撃破されたコンクリートの天井が黒い澱み水の上に墜ちかかっているのが、ランターンのちらつく不安定な灯かげの輪のなかに照らし出されて来る。 グーモンへ着いた時には、落ちかかると早い日が山容を濃く近く見せ・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・大きい池が三つ並んでいて、一番池二番池三番池は貯水池となった。菱の花が白く咲く一番池のぐるりは夏草の高く茂った馬場で、夏そこへ寝ころんで夕焼けを見ていると、いつしか体が夏草の中から泛んで七色八色の鱗雲の間をゆるく飛んで行くような気がした。そ・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・青年の気持をほんとうに反映して向上して行こうとする心の貯水池によりかかろうとしている。青年団のどこでもがこの頃はさかんに演芸会をやっている。失われた笑いと大声で遠慮なく喋ることと、人前に立って遠慮なく振舞う自由さを若者らしい陽気な演芸会が振・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・ 府下西多摩郡の小河内村が東京市の貯水池となることに決定してから、今日工事に着手されるまで六ヵ年の間に、小河内村の村民の蒙った経済的・精神的な損害の甚だしさは、こういう場合にあり勝で、謂わば既に手おくれになってから一般人の注意をひく・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫