・・・彼の話によると二年前からすでに帰省の計画を立ててそのつもりで貯金したとのこと。 どうだ諸君! こういうことはできやすいようで、なかなかできないことだよ。桂は凡人だろう。けれどもそのなすことは非凡ではないか。 そこで僕もおおいに歓んで・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 陸軍病院で――彼は、そこに勤務していた――毎月一円ずつ強制的に貯金をさせられている。院長の軍医正が、兵卒に貯金をすることを命じたのだ。 俸給が、その時、戦時加俸がついてなんでも、一カ月五円六十銭だった。兵卒はそれだけの金で一カ月の・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 主人は、杜氏が去ったあとで、毎月労働者の賃銀の中から、総額の五分ずつ貯金をさして、自分が預っている金が与助の分も四十円近くたまっていることに思い及んでいた。 杜氏は、醸造場へ来ると事務所へ与助を呼んで、障子を閉め切って、外へ話・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦と矜持とを抱いて、余念もなしに碩学の講義を聴いたり、豊富な図書館に入った・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 私は無言で首肯いてベンチから立ち上り、郵便局備附けの硯箱のほうへ行く。貯金通帳と、払戻し用紙それから、ハンコと、三つを示され、そうして、「書いてくれや」と言われたら、あとは何も聞かずともわかる。「いくら?」「四拾円。」 私・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・やめるがよい。貯金帳を縁の下に隠しているのと同じ心境ですよ。あの、蔵の中の娘さんとも、君は毎晩、散歩していたそうじゃないか。女中さん達が、そう言っていたぜ。キスくらいは、したんじゃないか。なるほど、君たちの遊びは、いやらしい。 もう自分・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・あの、貯金のようなものですものな。ほほ。明朝すぐに引越しますよ。敷金はそのおり、ごあいさつかたがた持ってあがりましょうね。いけないでしょうかしら?」 こんな工合いである。いけないとは言えないだろう。それに僕は、ひとの言葉をそのままに信ず・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私の母も、ちょいちょい、この家へ訪ねて来るようになって、その度毎に、私の着物やら貯金帳やらを持って来て下さって、とても機嫌がいいのです。父も、会社の応接間の画を、はじめは、いやがって会社の物置にしまわせていたのだそうですが、こんどは、それを・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・れまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃から湯・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・親が、子供の貯金をさえ使い果している始末なのだ。 炉辺の幸福。どうして私には、それが出来ないのだろう。とても、いたたまらない気がするのである。炉辺が、こわくてならぬのである。 午後三時か四時頃、私は仕事に一区切りをつけて立ち上る。机・・・ 太宰治 「父」
出典:青空文庫