・・・後がへって郡部の赤土が附着いていないといけまいね。鼻緒のゆるんでいるとこへ、十文位の大きな足をぐっと突込んで、いやに裾をぱっぱっとさせて外輪に歩くんだね。」「それから、君、イとエの発音がちがっていなくッちゃいけないぜ。電車の中で小説を読・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易くは動かぬ。曲りくねってむやみやたらに行くと枸杞垣とも覚しきものの鋭どく折れ曲る角でぱたりとまた赤い火に出くわした。見・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・中はがらんとして暗くただ赤土が奇麗に堅められているばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。 それからぐったり横になっている狐の屍骸のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・それらについて知らなかったけれども、子供の頃より折々そこに暮して、村の街道の赭土に深くきざみつけられた轍のあとまで眼と心にしみついている東北の一寒村の人々の生活の感銘から、この小説をかいたのであった。 当時、日本の文学は、白樺派の人道主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・すると、今朝の霜でゆるんだまま夜にとざされようとしている赤土に、まことに瀟洒な女靴の踵のあとがくっきりと一つ印されているのが目にのこった。そしてそれは何故か私の額の上に刻まれたもののような印象を与えて今日に及んでいるのである。〔一九三七・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・新開地で樹木が一本もなく赭土がむき出しなばかりではない。現代の文明の生きた問題が、動いて売り地の札を立てたり、金を出したり、作業している。土地の発展、時代の趨勢と称する土地分譲は、根に大きな底潮を持っている。迅く流れる河ばかり視ていると目が・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・中西伊之助の「赭土に芽ぐむもの」藤森成吉の「狼へ!」「磔茂左衛門」宮嶋資夫の「金」細井和喜蔵の「女工哀史」「奴隷」等は新たな文学の波がもたらした収穫であった。 この新興文学の社会的背景が、ヨーロッパ大戦後の日本の社会の現実的な生活感情と・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄い赭土をぼろぼろと穴の中に翻すのを見て、地下の客がいかにも軟な暖な感を作すであろうと思ったことがある。鴎外の墓穴には沙礫乱下したのを見る外、ほとんど軟い土を投じたのを見なかった・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・台町の方から坂の上までは人力車が通うが、左側に近頃刈り込んだ事のなさそうな生垣を見て右側に広い邸跡を大きい松が一本我物顔に占めている赤土の地盤を見ながら、ここからが坂だと思う辺まで来ると、突然勾配の強い、狭い、曲りくねった小道になる。人力車・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・その居眠りは、馬車の上から、かの眼の大きな蠅が押し黙った数段の梨畑を眺め、真夏の太陽の光りを受けて真赤に栄えた赤土の断崖を仰ぎ、突然に現れた激流を見下して、そうして、馬車が高い崖路の高低でかたかたときしみ出す音を聞いてもまだ続いた。しかし、・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫